目の前のことをしっかり頑張ることが大切
横浜市立大学卒業後、大手食品会社に入社。26歳の時に退社され、翌年より税理士事務所に勤務しながら、中小企業の決算、税務の実践を徹底的に学ばれて、相続税など専門的な知識を広げ、1996年落合会計事務所を開業されました。『社長!こんな会社が倒産します』、『相続と節税のキモが2時間でわかる本』など、斬新な切り口の専門書を多数執筆されています。また、テレビ出演も数回あり、セミナー講師としても年に数十回講演を行っている落合さんに、今の道に至った経緯、執筆活動や、電子書籍などについてお聞きしました。
中学時代は、星新一さんの本に夢中に
――お仕事のご紹介と近況をお聞かせ下さい。
落合孝裕氏: 100件ほどの法人のお客様と、150名ほどの個人のお客様の顧問をやっています。スタッフの作成した財務諸表、申告書のチェックや、お客様の税務相談、さらに、セミナー講師や執筆活動などもその都度おこなっています。会計事務所の仕事自体は他の事務所と大体同じようなやり方でやっています。中小企業の経営者の方は、周囲に相談する相手がなかなかいなかったり、あるいは税金のことなどのように、社内ではなかなか話しづらいこともあったりしますので、我々がお話を聞いたり、色々なことを提案したり、情報提供したりしています。
――現在に至るまでを幼少時代からさかのぼりお聞きかせください。ご自身で振り返ってみて、どのようなお子さんでしたか。
落合孝裕氏: 普通でした(笑)。おとなしい性格だったこともあり、あまりこれといった特徴はない幼年時代でした。勉強は比較的できていました。自慢話になってしまいますが、塾には通っていませんでしたが、学校の成績はいつも良かったですね。なので、両親から勉強のことで口うるさく言われる、ということもありませんでした。
――ご両親は税理士、もしくは商売をされている方だったのでしょうか?
落合孝裕氏: 両親は小さな洋品店をやっていました。そういった方面にも興味はありましたが、親は子どもに継がせることはあまり考えていなかったと思います。昔の職人気質の人なんでしょうが、自分の仕事は自分でやりたいと、手伝われるのを嫌がるようなタイプの人でした。中途半端に手伝われるのが嫌だったのかなと思います。でも年末など忙しい時は、タオルの箱詰めなどの手伝いをしていました。手伝いはその程度で、店員としてお客様と対話するというようなことはありませんでした。
――本や漫画はよく読まれていましたか?
落合孝裕氏: 中学ぐらいの時は、星新一さんの本をよく読んでいました。誰かにおすすめされて読み始めたのは覚えています。SFのショート・ショートで、非常に面白かったです。よく図書館で借りたり、自分で買ったりして読んでいましたね。
周りの環境が幸せだった大学時代
――その後横浜市立の大学に入られるわけですが、なぜそちらに行こうと思われたのですか?
落合孝裕氏: 割と地味な性格なので、私立の派手なところは自分に合わないかなと思いました。ちょっと落ち着いた雰囲気のところが良いかなと思って、決めました。学部は文理学部文科の国際関係課程(当時)でした。人数が少ない学校で、雰囲気は高校のようなところでした。ゼミでは、核軍縮問題や南北問題などを勉強していました。
――大学時代はどのように過ごされていましたか?
落合孝裕氏: あまり上手くなりませんでしたが、卓球部に所属してよく練習をしていました。その当時、麻雀が流行っていたので、麻雀をしたりとか、酒を飲みに行ったりとか、学生時代を謳歌していました。この時期、正直勉強はあまりしていませんでした(笑)。
――その後、大手食品会社の日本ハムに就職されたそうですが、あまり勉強をせずに入社できるとは思えません。
落合孝裕氏: 我々の時代の就職は、今とは全く違いました。GDPの動きを見ると、平成9年ぐらいまでぐーっと上がっていて、それ以降は殆ど横ばいになっています。「もうまったく違う国ですよ」と社員によく話しているんです。日本が平成9年を境にまったく違う国になってしまったのです。経営者の方は、「頑張れば何とかなる」と、経済が伸びていた時代を前提に話をする方が多いのです。確かに当時は頑張ったので何とかなったのですが、それは人口が増え日本の経済全体が伸びていたからなんです。今は、隙間を上手く捉えるとか、ネットを上手く使うなど、工夫をしないと売り上げが伸びない時代なんです。
――ご自身の大学卒業の頃は、周りの環境も経済的に幸せだったのですね。
落合孝裕氏: 人口も増えて経済も発展していましたから、普通に頑張れば、10年ぐらい経つと会社の規模も倍ぐらいになるし、所得も倍になるような時代でした。だから給料も、頑張れば頑張るほど貰えました。放漫経営や、いい加減に生きてない限りはなんとかなっていた時代なんです。就職もそういった感じで、謙遜しているわけではなく、本当に殆ど何もしなくても就職できたんです。試験の勉強は多少やりましたが、大学時代を今となって振り返れば、もう少し違うことに時間を割いていれば良かったなと思うぐらいに怠惰な生活でしたね(笑)。就職活動をしたのも実は、4年の夏休み。名の知れたところを回り、2社ぐらいから内定を貰えました。そういう時代でした。
でも、私立の大学とは随分違うというのもあります。今は国公立大学も一生懸命やっていると思いますが、当時は就職説明課に説明する人が1人いるだけでした。何か学生が質問すると、「それも良いんじゃない?」というような答えしか返ってこないし、「食品会社を目指しているんです」と言ったら「まぁそれも安定していて良いんじゃないですか」などと通り一遍の答えだけが返ってくる(笑)。そういったレベルなので、もう自分で探すしかありませんでした。今のキャリアセンターのようなものは当時はなかったんです。
情報が多いということは、必ずしも良いとは言えない
――食品関係の仕事を選ばれたきっかけはなんだったのでしょうか。
落合孝裕氏: 生活の身近にあるし、「安定しているかな」と、その程度でした。新入社員として入社した時は、あまり僕自身が世慣れしておらず、仕事に対する心構えもまったく無かったので、仕事のスピードに付いていけず、正直「大変だな」と思いました。「こんなところでずっとやっていけるのかな」とも思いましたね。
我々の時代は、大卒の人間が辞めることはそんなになかったので、大変だと感じていても、なんとなく続けていました。また、組織の中で働いているということは、辞めるのには勇気やエネルギーが要りますから、どうしようかなと思いながらも仕事を続けていました。そうこうして続けているうちに、だんだんと仕事に慣れてきて、次第に色々な仕事ができるようになっていったという感じです(笑)。
今は、ネットで物凄い量の情報が氾濫しています。例えば、ネットで就職したい企業について聞くと、ポジティブな意見もネガティブな意見もある。それから「ここはこんな短所があるからやめた方がいいよ」みたいに、割と無責任に言ったりする人もいる。現代の大学生は、そういう情報で気持ちがぶれちゃうんじゃないかな。そういう意味では、情報がたくさんあって、それが良いことかどうかというと、難しいですね。