顧問先ゼロから始めた、税理士の仕事
――税理士を目指すきっかけはなんだったのでしょうか。
落合孝裕氏: とにかく、仕事が体力的にきつ過ぎたことですね。仕事を始めた当初はハードで体がきついなと思っていましたが、しばらくして仕事に慣れてきました。それでも4年半も続けているとやっぱり体がしんどくなり、ずっと続けていくには厳しいなあと思うようになりました。営業所の所長に相談すると「他の部署もあるよ」と言われたのですが、結局辞めることになりました。
――なぜ税理士の道に進むことになったんですか?
落合孝裕氏: 簿記の勉強は会社を辞める前に少しやっていたので、その延長で出来る仕事が良いかなと思いました。あとは資格を取るんだったら、何か一生使えるようなものが良いんじゃないかと考えた結果、税理士と公認会計士と弁護士が候補に上りました。当時は弁護士も会計士もかなり難しかったので、その中で自分が取る可能性があるのは、税理士だと思いました。合格体験記をよく見ていたのですが、家庭の主婦の人や年輩の人が受かっている資格だったので、自分でも受からないことはないかなと思いました。科目ごとに受かっていけばいいし、大切なのは何がなんでもなるんだという気持ちです。
大学の時に卓球部を辞めて、「勉強に専念する」と言って、最終的に簿記の2級を大学時代に取った仲間がいて、凄いと思いました。でも独立後、実際に自分で勉強してみたら、たった3週間で簿記2級に合格しました。要は、必死さの問題かなと思います。食品会社で厳しい仕事をなんとかやってきて、辞めた後は毎日10時間は勉強していました。そしてその後も9カ月間税理士勉強に専念しました。とにかく必死に勉強をやり続けました。
――その後、合格して税理士として開業されましたが、順風満帆だったのでしょうか?
落合孝裕氏: 結婚した年に独立して、最初はお客さんがゼロから始めたので、月の売り上げは1、2万円ほどでした。
税理士会というのは親切なところで、所属している東京税理士会玉川支部に依頼がある区役所や税務署とか商工会議所などの税務相談官などの仕事を僕になるべく優先的に回してくれました。独立したのは17年前ですが、17年前に、お客さんゼロから始めた人っていうのは玉川支部でまずいなかったようで、ほとんどの場合は、以前勤務していた事務所から引き継いでいで、独立当初から10件から15件ほどはあったようなんです。
――どうしてゼロからやっていこうと考えたのですか?
落合孝裕氏: 成り行きです(笑)。以前働いていた2つ目の事務所は、相続対策などの事務所だったので、それが魅力で入りました。ですが、バブルが弾けてから、だんだんとそういった仕事が無くなり、「税のことは、これからあんまりやってもそんなに先行きが無いよ。人事のコンサルをやるとか、申告業務よりもコンサル業務を中心にやっていった方が良いよ」というような話を所長がしたんです。「税金のことで仕事をしたかったのに、今さら人事コンサルと言われても・・・」という気持ちでした。畑が違いますし、コンサル的なものにはセンスが必要なので難しくて、そういうのはなかなか自分には向いてないなと思いました。税の方は割と形ができていますが、コンサルというのは形の無いところをやっていかなきゃいけないイメージなので、「そういうのは自分には向いていませんので、事務所を辞めます」ということを話しました。それで成り行き上、独立しちゃったという感じです。
食品会社での仕事が良い経験に
――独立した当初は、どんなお気持ちでしたか?
落合孝裕氏: 実際にやってみると、あまり焦りはありませんでした。というのは、我々の仕事は、大きな設備投資をする必要がなく借入金なしで、自宅でできますし、コストがあまり掛からないんです。貯金は少しずつ減っていく毎日でしたが、割りと楽観的に、「なんとかなるんじゃないかな」と思っていました。
――独立してから今の道に至るまでには、どのような努力をされていましたか?
落合孝裕氏: まず、日々の仕事を順に片付けていくことです。それから1つ大きいのは、日本ハムでの営業経験です。1日20件から30件ほどのお客さん周りをし、納品をして、返品をして伝票を書いて、特売の商談もしてというようなことをほぼ1日ほとんど休まずにやっていたので、スピード感が凄く出てきたんです。それから税理士の仕事を始めて、最初の事務所で、「落合君、昼は休んでいいんだよ」と言われたのがカルチャーショックでした(笑)。当時の所長から「30年経営している中で落合君が一番仕事が早かった」と言われました。日本ハム時代は「仕事が遅い」と毎日怒られているくらいでした(笑)。そんな中でずっと鍛えられ、厳しさの中をなんとか乗り越えて来ましたから、その努力が役に立ったのだと思います。
どんな仕事でも将来にどう繋がるか分かりません。若いときには、目の前のことをしっかり頑張るというのは、当たり前だけど、とても大事なことだと思います。
――これまでに様々な本を書かれていますが、本を書くきっかけはなんだったのでしょうか?
落合孝裕氏: 独立してまったく仕事がないこともあり、本を書けばなんとかなるんじゃないかと思ったんです。根拠はありませんでしたが(笑)。2カ所目の会計事務所では、お客さん向けにニュースレターの制作責任者でした。その事務所で30歳になってから初めて文章を書くようになり、そこで随分経験を積みました。やっているうちに面白くなり、段々工夫をし始めました。最初は、税制がこう変わりました、というありきたりのものだったのですが、そのうち、芸能人の税金ネタを書き始め、宮沢りえさんが本を出したらどういう印税になるのかとか、ダウンタウンがこれくらい儲かっているとか、そういうものを話題にしつつ、内容は真面目なことを書いていたので、周りから「面白いね」と言われることが多かったんです。そして実際に本を出すために、企画書を送りました。
――その企画書のお返事は来ましたか?
落合孝裕氏: 残念ながら良い返事は1社を除いてまったく来ませんでした。ちょうど消費税が3%から5%に上がる時代だったので、5%に上がってこうなりますよというような、消費税の話で出そうと思って企画書を提出しました。家にあったビジネス書をかたっぱしから引っ張り出して、その奥付の住所10社くらいに出しましたが、殆ど返ってこず、1社からはお断りの返事が、もう1社からは1回会いますよという返事が来ました。そこが中経出版というところで、そのお話のあと仕事の依頼があったのが初めてです。昔は『近代中小企業』という月刊誌があって、必ず別冊付録があったんです。「落合さん、1回その仕事をやってみない?」と言われたんです。
その後、編集長から共著のお話があり、最初の本を出すことになりました。
――執筆に関して、何か気をつけていることはありますか?
落合孝裕氏: 僕は、文章のことを勉強したことがあるわけではないので、まったくの「自己流」です。回数を重ねるにつれて、文章は短い方が良いとか、回りくどく反復して要点を書くと分かりやすいんだなとか、そういうことにだんだんと気が付いていきました。あんまりさらっと書き過ぎてしまうと、話はそれで終わってしまい、読んでいる方からすると何が書いてあったのか分からないんです。だから、難しいところは切り口を変えてもう1度書いたりとか、事例を入れるとか、数字を入れるとか。そうやって表現を工夫しながら同じことを何回か繰り返していると割と分かりやすいんじゃないかなと思っています。
――落合さんにとって編集者というのはどういう存在ですか。
落合孝裕氏: 凄い人もいれば、割と丸投げみたいになっちゃう感じの人もいます。正直に言うと、人によってレベルの違いがかなりあります。「この人大丈夫かな」と思う人もたまにいます(笑)。良い編集者というのは、丸投げではなくて、一緒に「ここダメですよ」とか、「ここをこういう風にしてください」という、ちゃんとしたやり取りがあります。更にそこを「ここの並びはおかしい」などとチェックしてくださる方はいいですよね。それから僕は、税の専門家ですが他のことはよく分からないので、例えば社会保険などのことについて調べてくれるとか、そういうことをやってくれる方は良いですよね。
著書一覧『 落合孝裕 』