人のために役立てることは、究極の幸せ
NHK衛星放送、CNNの同時通訳者、会議通訳者など、日本の通訳者として第一線でご活躍されている鶴田さんは、『世界を動かすトップの英語 ダボス会議に学ぶ』『英語で伝えるオジサン的ビジネス表現』(柴田真一氏:共著)などの著作のほか、『共働き女性に贈る本』(キャロライン・バード/著)『フィデリティ 史上最強の投信王国』(ダイアナ・ヘンリーケス/著)などの書籍の翻訳も数多く手がけられています。海外在住経験が12年あり、小学校後半のアメリカ滞在や、社会人になってからのイタリア在住などのほか、過去にアジア、欧州、北米の各地域で生活されており、英語の他に、イタリア語、フランス語も得意とされています。現在の道に至った経緯のほか、電子書籍の可能性や、今後の展望についてお聞きしました。
教育者の仕事、通訳者の仕事を両立
――大学では、どのようなことをされているのでしょうか。
鶴田知佳子氏: 私は大学の研究科に籍を置き、大学院と学部の両方で教えています。大学院では国際コミュニケーション・通訳専修コースにおいて英語と日本語のあいだの通訳を教えております。実技指導だけではなく修士論文、修士修了研究の指導も行っております。東京外国語大学の大学院は総合国際学大学院といいますが、大きくわけて地域社会系・国際関係を扱うところと、私が属している言語系のところに分かれております。言語系のなかでも私がおしえている通訳は言語応用専攻に所属しており、たまたま現在はそのセクションを統括する言語応用専攻長の仕事もしております。
学部は、東京外国語学部は去年から国際社会学部と言語文化学部に分かれましたが、言語文化学部の三つのコースのうちの一つであるグローバルコミュニケーションコースのコース長をしております。その中で、通訳概論を担当しゼミを受け持っております。
――運営責任のある大学のお仕事をされながら、通訳者のお仕事をされるには、時間にかなりの制限があるのでしょうか。
鶴田知佳子氏: 大学で教えている教師としての仕事と、通訳者としての仕事をどう両立させるのかというところは、一番大変で難しいところですね。ただ、通訳というのは実践の場でのスキルが必要な仕事です。ですから、私が通訳の仕事をしているのは、指導していく上で、全く現場の仕事をしていないということは良くないと思っているからでもあります。そういう意味では、後進を育てるという大学の仕事にもつながっていると思います。
学部の入試、そして大学院の入試、ウェイトはそれぞれ違いますが、専修コースについては私が責任者です。当然通訳の仕事も選ばなければなりません。やりたいことを全てやっているというわけにはいかないので、だんだんと自分が得意な金融関係などの仕事や、あるいは生同時通訳などの「これは重要なのでぜひやりたい」というような仕事に絞らせていただいているのが現状です。
1回1回が、新しい仕事
――どのようなイメージを持って通訳をされているんでしょうか?
鶴田知佳子氏: イメージとしては「自分が話す」という感覚です。つまり、「この人がもし日本語が話せたら、どんな風に語るだろうか」ということをイメージしながら話す、それが一番うまくいきます。でも書き言葉とは違い、自分の声で伝える通訳の仕事には、1回しか聞けないという最大のデメリットがあります。翻訳の場合は何回も推敲して練り直すことができますが、同時通訳の場合は聞くのも1回、アウトプットするのも1回という非常に大きな制約があります。ただ、メリットとしては、声の抑揚をつけたり、強調したいところは間を置いたりなどの、「声」によって変化をつけることができるところです。通訳というのはあくまでも音声表現ですので、聞いている方に分かっていただけるにはどうやったら伝わるかということを考えると、前述の「自分が話している」ということをイメージして話すことが一番伝わりやすいんです。「この人は何を伝えようとしているのか」、つまり「何が」伝えられようとしているのかということを、どうやったら把握できるのかが一番のポイントだと思います。
――通訳者は、単なる言葉の変換者じゃないということですね。
鶴田知佳子氏: その場におけるコミュニケーションを円滑に進めることが通訳者の役割です。通訳というのは、時間と空間を共有した、即時性のコミュニケーションです。つまり、その場で通訳が成り立たなければ、あとで「ああ、これは分かってたのに」といくら言っても役に立たないのです。そして翻訳とは違い、読み返すことや訂正することもできないので、やはり即時性が強く、そしてコミュニケーションをいかに円滑に伝えられるかということですね。あと、先ほどもお話ししましたように、音声で伝えるということが一番の特色ではないかと思うんです。そこが難しいところでもあるのですが、やりがいがあり、面白いところでもあると思います。
――話す人によって通訳も変わると思いますが、経験を積めば応用も利くのでしょうか。
鶴田知佳子氏: 通訳の仕事というのは、1回1回が常に新しいと言えると思います。例えば、同じスピーカーの方が来日され、同じ情報番組に出演されるということがあったとします。ですが、同じ話者で同じテーマを扱ったとしても、全く同じということはありません。つまり、前に出演された時と今回出演される時は、また違う通訳になるわけです。毎回「1度きり」なんです。たいていの仕事は、熟練してくればケースやパターンに慣れてだんだん楽になるけれども、通訳の仕事というのは1回1回が新しいので「私たちってあまり楽になったことはないわね」なんて、同僚と話したりもします(笑)。
子ども心に思った、通訳という仕事
――幼少期のほとんどをアメリカで過ごされていたそうですが、通訳者のお仕事をされる上で役に立ったと思われる所はありますか?
鶴田知佳子氏: 最初にアメリカに行ったのは小学校の高学年の時で、英語は習ったことも話したことも全くありませんでした。
よく、通訳者になりたいという学生から「帰国子女の方が有利なんでしょうか?」とか「帰国子女じゃないとなれないんでしょうか?」という質問を受けるのですが、必ずしもそうではありません。ただ、やはり帰国子女だとその時代の国の空気感を肌で感じることができるという点、生活の中でその国を知っているという点は有利だったりします。
――アメリカの地で、初めて外国の空気に触れた時は、どういった感覚でしたか?
鶴田知佳子氏: 意味を持たない雑音の中に放り込まれたような感覚でした。「What’s your name?」と言われて、「name?もしかしてこれは名前のことかしら?」と、雰囲気で言葉を認識して、「My name is~」と言われ、「あ、なるほど自分の名前ってそういう風に言うのか」というように、少しずつ言葉を覚えていきました。文法がbe動詞で一人称単数はisということを考えて喋っているわけではないけど、「My name is~」と言われているから、「あ、そうか、なるほど。でも妹のことはどうやって紹介すればいいのかな?とりあえずMy name isでいいや」というように、やりとりを重ねていくうちに、「こうやって覚えていくのかな」となんとなく思っていました(笑)。今でも覚えていますが、アメリカに引っ越してはじめて近所の公園に行った時、同じ日本人の子で、みんなの先輩格の人がいたんです。その人が、英語の話せない私たち姉妹の通訳をしてくれました。そのとき、「もしかすると通訳とはすごく役に立つ仕事かもしれない」と子ども心にも思っていました。
――日本に戻られてからはどのようなことがありましたか。
鶴田知佳子氏: その時期は、帰国子女入試のはしりの頃で、学芸大学附属大泉中学校というところに入りました。中学には帰国子女といっても色々な人がいて、全く日本語の活字にも触れていなかったような、もうほとんど外国で育ったような人もいました。アメリカにいた頃、「家庭の中では日本語を使う」と両親が決めていたので、それは本当に良かったと思います。その後、学芸大学附属高校の入試が済んだところで、父が今度はインドに転勤になったので、アメリカンスクールに行くことになりました。そこには40カ国以上の子どもたちがいて、非常に面白くて、有意義な時間だったと思います。
――多種多様な国の人々と接したアメリカンスクールでの体験は、今のお仕事に何か良い影響を与えたのでしょうか。
鶴田知佳子氏: アメリカンインターナショナルスクールでは、国語としてEnglishを教わることもできましたし、教材として使っているものもアメリカのものが中心でしたので、アメリカの価値観というのも学ぶことができました。クラスメートの中には、英語で教育を受けたいという他の国籍の子や、色々な国の大使館の子など、色々な背景を持った人々がいる中で、自分の意見や考えを伝えなければなりませんでした。そういった点では今の仕事に役だっている部分もあるのかもしれませんね。
国際公務員を目指して学んだ大学生活
――その後上智大学では、どういったことが印象的でしたか?
鶴田知佳子氏: 上智大学は、キリスト教のバックボーンがあるというところが非常に素晴らしいと思います。とても教育熱心なイエズス会の神父様方のお話を聞きながら教育を受けることができたのは、非常に貴重な経験だったと思います。
――大学で、フランス語学科を選んだ理由は何ですか?
鶴田知佳子氏: 当時の私は、国際公務員になりたいと思っていたんです。オリンピックの招致委員会もそうですが、公式言語は英語とフランス語ですよね。なので、もう1カ国語できるとしたらば、やはりフランス語だろうという感覚がありました。そして、国際公務員には「大学院卒か、あるいは3年の勤務経験」という条件があったので、大学を出る時には、「まず3年勤務してから、自分で経済的に独立しよう」と思っていました。ともかく身につけられるスキルは何でも学ぼうという思いがあったので、英語、フランス語はもちろん、教職も取りました。また、国際関係副専攻というのもあったので、「それもせっかくなら取っておこう」と、本当に欲張りました(笑)。
――大学を卒業されてからは、どのように過ごされていたのでしょうか。
鶴田知佳子氏: 夫の転勤でニューヨークへ行ってからは、コロンビア大の経営大学院に入りました。新婚生活と大学院生活の両立はさすがに大変で、今までを振り返ってみても、あの時代が一番大変だったんじゃないかと思います。アメリカの教育の良いところは、やはり考えさせるという点です。習ったことを自分でどう応用できるかということに関して言えば、ケーススタディの事例分析を書かせたり、プレゼンテーションをさせたりといった授業がとても役に立ったと思います。大学の場所がニューヨークにあり、ウォール街で働いている先生が実際に来て話をしてくれるということもあって、実学との結びつきが強い大学院だったと思います。
執筆の動機は、情報として役に立つこと
――その後、ミラノにも行かれていますね。
鶴田知佳子氏: 6年近くミラノにいたのですが、その際に『ミラノ生活便利帳』という本を作っていたんです。また、翻訳本の『共働き女性に贈る本』というのと、『国際ビジネス用語辞典』も出しました。
――執筆するきっかけというのは何だったのですか?
鶴田知佳子氏: 『ミラノ生活便利帳』については、やはり生活情報を伝えようということですね。『共働き女性に贈る本』は、まさに自分も共働きだったので、ヒントを伝えるための翻訳ということで手掛けたんです。なので、何か自分のやっていることで情報として役に立ちたいということが執筆の動機だったように思います。
――「役に立つ」ということが、先生の原動力なのでしょうか。
鶴田知佳子氏: 究極的には、「生きていて良かった」と思えることとは、他の人のために役立てることだと思います。通訳の原点も、相手の言葉が分からない、自分の言葉が通じないという人々の間で、どうやってその言葉を仲立ちできるかというところにあったと思うのです。ですから、やはり通訳の原点も他人のために役立てることであり、それは、究極の幸せなのではないかと思ったりします。無意味なことというのは、どんな人でも決して無いはずです。“その人が存在する意味や、存在する価値はどこにあるんだろう”というのを引き出すのが教育であるべきだと思いますし、それによって、世の中で自分の居場所や役割を見つけていくということが、それぞれの人間の重要な課題なんじゃないでしょうか。
紙も電子も両方必要。使い分けが大事
――電子化のメリットとは、どういったところにあると思われますか?
鶴田知佳子氏: 大学時代の同級生に、ニューヨークにおいてコンサルタントをしている佐藤則男さんという方がいらっしゃるのですが、佐藤さんはすでに電子書籍で『ニューヨークレター』という本を出版されているんです。『ニューヨークレター』は、文字通り、本当にレターの形式で色々な方に配っているのですが、それがかなりの量に達したので、電子書籍の形で出版するということでした。電子書籍の良いところは、即効性があるところです。紙のコストも郵送するコストもかかりませんから、ジャーナルにおいても、だんだんオンライン化されてきています。その『ニューヨークレター』も、最初はメーリングリストで送っていましたが、電子書籍として共有されれば、もっと多くの方にその人の考えていることが伝わり、そしてニュースについて語っている部分には、やはり新しさに重要性があります。ですから、やはり即時性が大事なのです。そういった、情報を広く提供するという本などにおいては、電子書籍は非常に親和性が高いんじゃないかと思います。
あと、例えばタブを押せば、すぐに英語やフランス語、スペイン語などに変わって読むことができるといいですよね。
――普段、電子書籍や電子ジャーナルなどはご利用されていますか?
鶴田知佳子氏: 日経新聞と、朝日新聞、それからニューヨークタイムズの、3つの電子版をiPhoneで見られるようにしています。朝、放送通訳の仕事に行く時に開くと、ボイスジャーナルで「これが見出しトップです」という風に出てきて、忙しい時でも一応予習していけるので、便利ですね。でも、紙の良さももちろんあるので、紙も好きなんです。私はいまだにオールドファッションで、最近でこそ紙の辞書はあまり持ち歩かないのですが、昔は通訳者というと、みんな重たい紙の辞書を何冊も持ち歩くので、カバンを壊したという人がたくさんいました。今はもう電子辞書でカードを差し変えるだけですよね。でも私は類語を読んだり、広告を見たりするのが楽しみなので、紙が好きなんです。紙と電子が、いい形で共存できるといいですよね。
電子版でもらっても、大事だと思うものはあとでプリントアウトするので、やっぱり使い分けだと思います。ですから、両方必要で、片方だけだと物足りないという感じがします。人間は進歩しますから、便利なものは便利なもので使った方が良いと思います。日経新聞ですとクリッピングもできるので、検索の便利さがやはり全然違います。以前に比べて情報整理がとても楽になりました。
先人が歩いた道を、少しずつ広げながら進めばいい
――今後の展望、意気込みをお聞かせ下さい。
鶴田知佳子氏: 執筆活動でも、それから通訳の仕事でも、どちらも同じことなのですが、私が今後やらなくてはいけないことというのは、やはりこれからの若い人を育てるということだと思っているんです。これは今の仕事にも通じることですが、私も、たくさんの方に助けられてきているわけですから、これからの世界を背負っていくような人たちを育てる手助けをすることが務めではないかという風に思います。それと、今後の世界を背負っていく人たちには、私なりに「こういうことは知っておいてほしい」と思うことがあるので、それを伝えていきたいと思っています。
――今までご自身が受けてきたものを世の中に還すということでしょうか。
鶴田知佳子氏: とてもたくさんの人にお世話になっているんです。その人たちに直接お礼はできなくても、次の世代に伝えることで、継承していくということが大切ですよね。
非科学的ですが、やはり運も大事な要素のひとつですよね。めぐり合わせとでも言うのでしょうか。日本語では「ご縁」といういい言葉がありますけれども、それもとても大きいですね。
――若い人たちの、特に女性のロールモデルになっていただければと思います。
鶴田知佳子氏: それが大事なんです。「鶴田さんができたんだから私もできるはず」という風に思ってくれる人がいるというのはいいことです。まず、チャレンジしてみないことには道は開けませんので、「鶴田さんが大学院を出られたんだから、私にもできるはずだ」と思ってもらえるのであれば、それでいいと思います。先人が歩いたあとを、後の人が少しずつ道を広げながら歩いていければいいと思います。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 鶴田知佳子 』