次の時代に向けて、言論と現実の両方を作って積み上げていきたい
飯田さんは、自然エネルギー政策を筆頭に、市民風車やグリーン電力など日本の自然エネルギー市場における先駆者かつイノベーターとして、国内外で活躍されています。世界中に幅広いネットワークを持ち、特に3.11以降は、世論をリードするエネルギー戦略を打ち出すなど、持続可能なエネルギー政策の実現を目指されています。2014年2月には、福島県で「コミュニティ・パワー会議2014in福島」を開催し、デンマーク、ドイツ、カナダ、オーストラリアなど国内外から、コミュニティ・パワーのキーパーソンとなったエネルギーシフトの先駆者を招いての国際シンポジウムも実現されました。主著に『北欧のエネルギーデモクラシー』、共著に『自然エネルギー市場』『光と風と森が拓く未来―自然エネルギー促進法』、『環境知性の時代』、訳書に『エネルギーと私たちの社会』などがあります。今回は、仕事におけるターニングポイント、そして山口県での活動、未来に向けての活動についてお伺いしました。
4つの視点から考える
――様々な活動をされていますが、エネルギー学者という立場だからこそできる政治活動というものもあったのでしょうか?
飯田哲也氏: 元々、学者という呼び方には違和感があって、社会イノベーターという方があっているかと私は思います。3.11前までは、原子力を大学院で研究していて、修士課程修了後は、神戸製鋼で原子力の物作りに関わるようになりました。その後、電力中央研究所で電気事業連合会や原子力安全委員会の仕事をしました。ですから国の立場と電力、産業界、それから学会というアカデミックの立場と、4つの角度から原子力を見ることができたので、ある意味でこの国の空洞さ、嘘っぽさのようなものを痛感しました。国の仕事というのは、霞が関文学という言葉があるように、文章の中の「てにをは」のような細かい表現を細工して、その「表現ぶり」で問題を解決したことにしているのですが、問題の本質は置き去りになったままであることが多い。だから現実の問題が、時間が経てば経つほど膨れ上がっていく。「原子力の技術そのものが大きな問題だから」ということもありますが、それ以上に、宮台真司さんが言うところの「嘘社会」のその裏側を見つくしてしまったということが今の仕事をしようと思った大きな理由なのです。現実に拘り、その現実をより良くしていく政策や活動をするために「原子力ムラ」から踏み出しました。
――3.11以降は、やはり大きな変化がありましたか?
飯田哲也氏: 3.11までずっとこだわってきたのは、現実に即した研究や政策提言、創造的な実践をすることでした。実際にできるのは提言の1%程度を含むものになってしまうことが多いのですが、その1%ができることで、スウェーデンのように政策や研究も変わってくるし、現実も変わっていくかもしれない。現実を少しでもあるべき方向に変えていくことに徹底的にこだわってきたのが3.11前です。「電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法」、いわゆる固定価格買取制度が3.11の当日に閣議決定されたのですが、それは当時の菅首相が自分の首を懸けて成立させた法律なのですが、その最初の草案を1999年に作ったのは私です。12年越しの成立となりました。
そして、北海道で市民がお金を出し合ってデンマーク型の市民共同風車を北海道のグリーンファンドと一緒に作ったのは2001年。その後、地域の中でエネルギー会社を立ち上げて、地域の人がやっていくという「おひさまエネルギーファンド」も2004年に企画から立ち上げまで一貫して実践し、その後も一緒にやってきました。
そうした経験から言えることは、現実は矛盾の塊だということです。その矛盾の中で、現実を変えていくことの難しさと、そこから見えてくる面白さや可能性というものを積み上げてきた感じでしょうか。3.11が起きてから、エネルギーに関しては、今まで私が提言してきた方向への支持が増えてきたように感じます。
――山口県ではどのような活動をされているのでしょうか?
飯田哲也氏: 今までは先端の方の1%を動かすような仕事だったのですが、政治家や知事になってからする仕事というのは、全体を1ミリ動かしていくような仕事なのです。たとえば、先の都知事選で、自民党の河野太郎さんか小泉進次郎さんが立候補して、それを小泉純一郎さんが応援するという構図だったら、おそらく天地がひっくり返るような政界再編になっていたと思いますし、もし私が山口県知事選に勝っていたら当時の野党の安倍さんが自民党の代表になることもなかったかもしれない。そういう社会が変わるかもしれないピンポイントの可能性に賭けて、一昨年の山口県知事選に出たのです。
しかし、二回目は違います。3.11が起きて以降、一気に広がってきたのが、ご当地電力。これが今回、山口県知事選を見送った理由の1つでもあります。ご当地エネルギーがこの1年半~2年くらいででき上がってきたので、根こそぎ社会を変えていけるのは、ボトムアップの地域からのエネルギーだろうということで、そこを支えていくことが大事だなと思いました。加速度的な地域からのエネルギーの立ち上げが、今の私の仕事の7、8割くらいでしょうか。
――エネルギーの立ち上げ以外のお仕事とは?
飯田哲也氏: 新しい地域社会をかたちにしようという動きとして、山口ソーラーファンドを1年かけて作りました。世界中で売れている「獺祭(だっさい)」と並ぶ「東洋美人」という、すごくおいしいお酒があるのですが、その蔵元が去年(2013年)の豪雨で全壊被害を受けました。そこで急きょ、当時用意していた市民ファンドに寄付を組み合わせることにしました。市民ファンドで総額の2億円を集めたら2000万円くらいが寄付になります。市民ファンドに出資した方には「東洋美人」や地域特産のリンゴジャム、野菜などを送るよう計画しています。去年はそのお酒づくりのための完全無農薬の酒米作りもしました。食は地域の中でとても重要なので、「そこでしか食べられない」という最高のロケーションで、その地の地産地消の無農薬の食品を食べるようなコンセプトのイベントも企画しています。日本各地から10人限定で来てもらい、最高のお酒と最高のジビエを食べてもらったりするような、観光を兼ねた企画です。そうした新しい創造的な地域社会を、具体的なかたちにしていくことが私の仕事の残りの3割くらいでしょうか。
若く才能のある人が自分の考えや経験を世界に発信するためのチャネルを作ろうということで、ネットを通じて講演したりするTEDxのような企画も、これから山口で立ち上げようと思っています。国内外で地域からのエネルギーの立ち上げを支援しつつ、山口という拠点ではこれからの新しい地域社会、生活を形にしていくという、この2軸で活動しています。