本とは、「交響曲」
――本を出版することになったきっかけとは?
飯田哲也氏: スウェーデンに行っている時に、内橋克人さんから声を掛けられて、寄稿したことがあります。河合隼雄さんと内橋さんの共同編集の『現代日本文化論』だったかな。その中の「仕事の創造」という1冊の中で「一編書かないか」と声が掛かり、それが本になった最初のものとなりました。
スウェーデンで見聞きしたことを書いた『北欧のエネルギーデモクラシー』は、北欧、特にデンマークとスウェーデンの原子力と新しいエネルギーの両側の歴史と社会を全部書きつくしている本です。今は、その改訂版を出そうと思っています。それらに共通した軸は、環境やエネルギー、あるいは原子力ではなくて、「デモクラシーなのだ」ということ。10年間北欧で研究を重ねて、地域に入り込んで色々な人と会って、向こうの歴史を戦後の原子力開発の時から遡って、全部が立体的に見えるようになった時に初めて分かったのは、生きた民主主義というか、地域密着型のデモクラシーの結果として今の彼らがあるのだということ。それが私の博士論文のベースとなっています。論文はまだ途中なのですが、今は新評論の社長をしている武市さんが「ぜひこれを本にしよう」と言ってくれて、出版することになりました。
――どのような思いで本を書かれていますか?
飯田哲也氏: 1つは本のための本というよりは、現実社会をきちんと踏まえて、更に草の根の人も含めた人たちが、本を手がかりに動いていけること、といった現実とのインタラクティブな関係を常に意識しています。『北欧のエネルギーデモクラシー』に出ている人とは、この十数年ずっと付き合いを重ねて、今もお互いの関係性をどんどん発展してきています。本の中に閉じ込める関係ではなくて、その後も現実の付き合いを続けて、歴史を重ねて発展してきています。
――編集者というのはどのような存在だと思われますか?
飯田哲也氏: 新評論の武市さんは、旬のものを掘り出してくることにおいて優れた哲学を持った方で、堅実な良い方を発掘し、本を出し続けられていると私は思います。
編集者は色々なタイプの方がいらっしゃいますが、武市さんのように、こっちからボールを投げると立体的に戻してくれる方だとうれしいです。読み手であると同時に批評家、アドバイザーであり、そして、パートナーでもあります。著者を励ましつつ、その中で書き手が持っている一番大切な光を見逃さずに、上手に本まで導いてくるような役割を編集者は担っているのではないかと私は思います。
普通の論文などを書くのとは違って、本は交響曲を書くようなものだと考えています。単純な起承転結の時もあればそうではない時もある。全体の組み立てを見直してみると、それぞれの章の中の組み立ても変わりますし、場合によっては細かい記述も変わるかもしれません。その全体の流れについて、編集者と私とで共有できていると良いコンタクトができると思います。
――本を書く上で大切だなと思われているポイントはありますか?
飯田哲也氏: 武市さんが最初の頃に「文章を読んだ時に、映像が出ないとだめ。飯田さんの文章は、読んだ時に映像が結構出てくるね。」と言ってくれたのです。文章を読んだ時に、頭の中に絵がぱっと浮かぶかどうか、ということを考えながら、自分の文章を組み立ててきました。あと、1のものを1と書くのは簡単ですが、10のものを10書いたら複雑になってしまう。難しいことですが、10あるものを1に絞り込んで書くことを、心掛けるべきだなと私は思っています。
今は、次のステージへの移行途中
――電子書籍や広い意味でインターネットの記事などの可能性については、どのようにお考えでしょうか?
飯田哲也氏: リンクでどんどん色々なウェブに繋がりますし、動画も入れることができます。私としてはまだ読む方ばかりなので、まだまだこれから、「学びながら」という感じです。紙の本と電子書籍の両方が必要だと私は思っていますが、本には「ここだ」という厚みといった感覚があります。でも、電子書籍の場合は後で思い出したいと思っても、厚みがないので、「今この辺かな」ということしか分かりません。瞬間的に全体像が分かるという感覚の部分が、電子書籍において、本としては不足しているなと感じる点です。でもその代わりに、検索など電子ならではの部分があります。自分自身も文章の書き方がデジタル時代とアナログ時代とでは全く変わりました。シャープペンシルで書いていた頃は、最初の1行を書き出す時には10000字~20000字くらいならば、起承転結などは大体頭の中にあって、それを書き下ろしていくというスタイルで書いていました。今は、アウトラインをある程度作って文章にしてみて、重複するブロックを入れ替えて、という感じに書き方も完全にデジタル型になりました。同じように、電子書籍ならではの読み方、使い方というのも、電子書籍の進化と共に次のステージが開けると思います。今はその途中なのではないでしょうか。
――今後はどのようなことに力を入れていきたいとお考えでしょうか?
飯田哲也氏: 自分ができる範囲で、次の時代に向けてレンガを積むことができればいいなと思っています。スウェーデンで暮らして学んでみて、ヨーロッパの地域社会と日本の地域社会で違うなと思うところは、向こうは積み上げ型だということ。それを「ディスコース」という風に言います。環境の話で言えば、今となっては共通のコンセンサス(合意)となった水俣病の有機水銀説も、最初は色々な学説が出てきましたよね。次の新しい問題が出てきた時に、積み上げたコンセンサスをベースにして、新しい時代においても色々な仮説などを検証し、ルール、新しい政策を立てていくことが大事なのだと思います。今、原発に関しては、意見が真っ二つに分かれていて、両陣営が言いっ放しという状況のように思えます。そういった部分で、コモングラウンド(共通の理解)が全然積み上がっていかないというのが日本の難しいところなのです。現実そのものを作ってしまう方が早いのではないか、と思う部分もありますので、言論と現実の両方を作って積み上げていくこと。それが私の次の時代へ向けての使命なのではないかと思っています。
――今年はどのような活動をしたいと考えられていますか?
飯田哲也氏: 今、福島に、我々が一緒に立ち上げてきた会津電力があります。彼らも不安の中で始め、我々がアドバイスをしたりして、二人三脚で歩いてきましたが、今は皆、自信を持っているように感じます。「現代の自由民権運動だ」と彼らは言います。そういうパートナーが日本中に広がっていっているので、間違いなく良い形になると思います。
今年の3.11の会議が1つのキックオフとなり、日本中で地域のエネルギーに携わっている人たちが繋がる場をしっかり作るというのが、大きな目標です。地域社会は「自分たちで新しい価値をつくっていく」という方向へ、今、向かっていますので、山口で続けてきた新しい社会活動のステージをしっかり作っていきたいと思います。
原発の論争も大事ですが、明日に向けた未来をこれから刻んでいくことも大事だと私は思っています。短期的なものではないので、10年、20年、あるいは50年かかるその道のりがこれから始まるのです。原発もまた再稼働されるのではないかとか、貧困、格差の問題など、マイナスな要素が強く、今、時代が少し暗いと感じることもありますが、自分で新しいものを作り始めた人を見ると、自信と希望に満ち溢れているのが分かると思います。1人でも多くの人が、自分で自分の仕事を、自分の居場所で生み出すために、私は背中を押していきたいと思います。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 飯田哲也 』