積極的に自分を表現できるコミュニケーション力が大事
著述家。ビジネスコミュニケーション講師、子どもの頃から本好きで、幼くして物書きを志す。大学卒業後は、会社勤め、アルバイト、自費でのドイツ留学を経て、20代後半に日本語学校教員に。1997年社員研修業で独立し、有限会社を設立。2001年7月株式会社スピーキングエッセイに改組。「語る・書く・鍛える」を3本柱として、強い人間として自分をいかに表現していくかというコミュニケーションを追求されています。著書には『「話し方のプロ」の話す技術』『言葉づかいの技術』『なぜあの人の話し方は「強くて美しい」のか?』などがあり、現在も意欲的に執筆活動を行っています。空手の指導員でもある大嶋さんに、ご自身の経験とコミュニケーションの大切さ、本と電子書籍の可能性、期待することについてお話をしていただきました。
コミュニケーション講師の空手修行
――社会人教育として、語る・書く・鍛える、の3本柱を実践しておられますが、その一環として、現在も空手をされているそうですね。
大嶋利佳氏: はい。空手は高校時代に始めたのですが、大学1年で中断し、40代中盤で再開しました。研修講師としてプレゼンテーション指導をしていたのですが、プレゼンテーションとは、結局その人のしっかりした存在感がないと、どんなにパワーポイントがきれいでも、どんなにロジカルに説明が出来てもしょうがない。大きな声が出せ、人前で堂々とした姿勢、態度が取れないと何を言っても聞いてもらえない。基本となる体を鍛えてこそ、初めてプレゼンテーションが上手くなるということを痛感したのです。それで言葉だけでなく、身体を鍛えるための指導科目も持ちたいと考えていたところ、「私には空手がある」とひらめいたのです。現在は代官山カラテスクールで指導員を務めるかたわら、極真空手道連盟極真館にも所属しています。
――数あるスポーツの中から、空手を始めようと思ったきっかけは何だったのでしょうか。
大嶋利佳氏: 小学生時代、テレビアニメを見て始めるスポーツというと、女の子の場合は「アタックナンバーワン」でバレーボール、「エースをねらえ」だとテニス、というのが普通でした。私の場合は小学生の頃から文学少女で、「漫画のマネをしてスポーツを始めるなんて、バカみたい」と思っていたのです。それが当時放送されていたテレビアニメ「空手バカ一代」を観たら、コロッとはまってしまいました(笑)。どうしても早く始めたくて、親に「極真会館に入りたい」と言ったら「入ってもいいから先に高校に入りなさい」と言われました(笑)。高校に入ったら伝統派の空手部があったので入部し、高校3年の時に全国大会の型の部で優勝しました。実質2年で全くの初心者だった高校生が全国レベルになるわけですから、来る日も来る日も猛練習で、本当に過酷な日々を過ごしていました。自分で始めた空手でしたが、大学1年で初段をとった後、「私の青春を返せ!」と思って辞めてしまったのです(笑)。
――いきなり体育会系へ、一直線だったのですね。それ以前の文学少女だった頃は。
大嶋利佳氏: 父も母も、昔からよく本は買ってくれて、「本を読みたがる子はいい子だ」という感覚で小さい頃は育っていたので、読書は好きでした。幼稚園の時にはもう、「大きくなったら本を書く人になる」と思っていました(笑)。当時、埼玉の田舎に住んでいましたが、近所の駄菓子屋兼文房具屋さんに行って、原稿用紙の罫が印刷してあるノートを買おうとしたのです。そうしたら顔なじみの駄菓子屋のおばちゃんが、「これはお人形を書いて遊ぶノートじゃないよ」と言ったのです。その時、私はまだ5歳くらいでしたが「将来本を書く人間に向かって、その言いぐさはなんだ?」と、幼いから言葉には出ないにしろ、感覚的に腹を立てたことを今でもよく覚えています(笑)。でも書く仕事、というのは漠然としたものだったと思います。また、子どもの頃には、よく偉人伝や伝記を読むと思いますが、せいぜい10巻から30巻程度のものしか刊行されていません。「人間は何億も存在しているのに、他の人はどうしたの?」と思うと同時に、私自身が「伝記がでるような人間になりたい」と考えるようになったのです。そのためにも、本という存在、その世界に入っていくことが一番いいのではないかなと思いました。
やりたいこと、できることの見極めが大事
――大学でも、本と密接な学部に進まれるのですね。
大嶋利佳氏: 大阪芸術大学の文芸学科でした。今でも愛読していますが、当時、辻邦生という小説家が非常に好きで、文学と美術が同時に学べる環境がいいな、と思って芸大で文系がある大学を選びました。入学試験の面接では、面接官の1人に小松左京さんがいましたね。面接官は他にも2、3人いて、「好きな作家は誰ですか」と聞かれて、辻邦生と答えました。すると「読んだことがある作品はなんですか」と聞かれたのです。そのとき私はカチンときて、「出版されているものは全て読みました。」と答えました。小学生の頃から、新学期初日に配られた教科書は、その日のうちに全部読んでしまう子供でしたから、好きな作家の作品をすべて読むのは当然で、わざわざ聞かれるまでもないことです。その態度に教授たちが一瞬ザワっとして、その反応を見て「これは受かったな」と思いました(笑)。
――「これ」と決めたものがあったらしっかり見据えて、自信をもってやり抜くという印象を受けます。
大嶋利佳氏: 良い方に捉えていただくとそうですが、逆に言うと、私は他のことができないということなのです。運動に関して言えば、空手以外は何もできないので、体育はずっと2でした。学校の勉強も、国語以外は全部3くらいだったかな。いわゆるB型気質なので、やりたくないことはやらなくていいというか、努力して全部やろうという発想はありません(笑)。でもやりたいこと、できることの見極めはとても大事ですね。
大学時代は、「松・竹・梅」でゴーストライター?
――B型気質の大嶋さんの大学生活が気になります。
大嶋利佳氏: 私の場合、気に入った先生の授業には出席して、あとは図書館にいました。授業以外では読書が多くて、文芸科でしたので読書して論文や評論を書くという、その繰り返しでした。今からもう30年以上前の話で時効だから言いますが、同級生の論文も随分と手伝いましたね(笑)。松・竹・梅の3コースで料金表をつくって、“優”がほしい人は「松」、“可”でいい人は「梅」コース。そうやって1つの課題で毎度5人分くらい手伝っていました(笑)。
――同じ課題なので、書く時は工夫が必要だったのではありませんか?
大嶋利佳氏: 論述文ですから、ロジックというか、視点、切り口を変えるようにしていました。例えば、Aという作家に関してならば、代表作についてとことん語っていくのか、生い立ちについて語っていくのか、交友関係や師弟関係について語っていくのか…というように視点、切り口を作っていけば論文を10何通りも書くことができます。現在の私の本は、ビジネスマナーやメール、あるいは電話といったように、いわゆるビジネス書が多いのですが、同じビジネスマナーでも、大学生向け、新人向け、中堅向け、上司向け、経営者向けなど、いくらでも切り口を変えることができますので、私が冊数を重ねてこられた理由の1つがそこにあるかもしれません(笑)。
会社勤め、アルバイト、自費留学。多くの経験が、やがて「書く」仕事へ。
――大学卒業から、「書く」仕事に就くまで、留学も含め様々なご経験をされていますね。
大嶋利佳氏: 卒業後は、今で言うフリーターのような生活がしばらく続き、会社に勤めては「これは私のやることじゃない」と思って辞めていました。でも、小さな頃からの書く仕事に対する思いはずっと持ち続けていましたね。
「芸術哲学、文学の源流はドイツだ」ということで、当時の西ドイツにトータルで9ヶ月ぐらい語学留学に行き、そのときの語学学習の経験を活かして、20代の後半には日本語学校の教員になりました。その後、第1回日本語教育能力検定試験に合格しまして、専門学校の教員を経て今の仕事へと繋がっていきました。日本語学校に勤めていた頃は、夜はクラブでホステスをして、お金を貯めて海外に留学しました。当時はとにかく元気でしたね(笑)。水商売の経験は本当に勉強になりました。いいお客さん、ビジネスの世界で高い地位にあり、活躍されている方々に、きちっとお話をしてお仕事させてもらうためには、こちらも話題の引き出しや、教養がないといけない。そのためにも読書経験が役立ったように思います。
――色々な経験が、全て繋がって今があるのですね。
大嶋利佳氏: そうかもしれません。日本語学校で働いた経験も役に立ちました。日本語学校の授業は、初級クラスから全部日本語で行うのですが、そこで「失敗したな」と思ったエピソードもあります。ある日、女子学生に、「その服、かわいいじゃない」と言ったら、二度と口をきいてくれなくなってしまった。私は洋服をほめたのですが、日本語が満足に使えない彼女にとっては「じゃない」は否定を表す言葉だったのです。そういうコミュニケーションの行き違いをいくつも体感して、“いかに誤解されないで話すか”ということにすごく神経を使うようになりました。その経験が後に研修講師になったときに、また原稿を執筆する時に、役に立ちました。お陰様で「講義が分かりやすい」とか、「文章が読みやすい」などと、お褒めの言葉を頂きます。
――様々な経験が、本の執筆にいよいよ活かされる時が来ます。
大嶋利佳氏: 今でもそうですが、私が研修講師として独立した頃も同業者の数が多く、玉石混淆という感じでした。その中で社会から評価してもらうために一番強い媒体なのは、やはり本なのです。研修講師業や経営コンサルタントに関しては、著作があるかないかでランクが違うし、ギャラも違ったりします。著作があると、信頼感なども全然違います。だから研修講師業でやっていくためにも、本の出版は非常に重要なことでした。しかも、自費出版じゃなくて商業出版でより多くの人に届けなければいけません。話し方の本『「話し方のプロ」の話す技術』の出版にこぎつけたのは、2002年のことでした。
無視力も大事
――すんなり出版できたのですか?
大嶋利佳氏: いいえ。最初はどうしたらいいのかも分かりませんし、「本を書きたい」と言うと、ほとんどの人に、「自費出版じゃないと無理だ」と言われました。ビジネスマナーや話し方の本は世の中に溢れているし、「有名人でも成功者でもないただの主婦が、出版社に相手にされるわけがない」とも随分言われました。でも、やったことがない人は「無理だよ」と言いますが、実際にやったことがある人は、「できるよ」とか「じゃあ出版社を紹介してやろうか」などと言ってくださいます。そこから糸口がつかめたのです。なんでもそうですね。ある時、ランニングをやってみたいなぁと思ったことがありました。フルマラソンに挑戦しようかと思って。そこで友達に相談すると、「いやぁキツイよ、無理だよ」というのは、完走したことがない人。完走経験がある人は、「やりましょう。できる、できる!」と言うんですよ(笑)。
――できた人は応援し、できなかった人は反対する……。見極めが大事ですね。
大嶋利佳氏: 大事です。私はコミュニケーション講師ですが、「人の話を聞くな」というのが信念です(笑)。“無視力”は大事ですよ。私が会社を作った時も、つくづく「人の話を聞いてはだめだな」と思いました。起業しようと思った時に、色々な人が相談にのってやろうと言って近づいてきました。でも、その人のアドバイスを聞いて私が失敗したとしても、その人にはなんの責任もありません。それにアドバイスをしたがる人って、相手のためではなく、自分が気持ちよくなるためにしているという人も、実は少なくないのです(笑)。頼りにされている自分、偉そうにできる自分を楽しみたいだけ、という人もいます。だから私は「他人の意見」「みんなの意見」を聞こうとは思いません。相談するとしたら本当に信頼できる人、責任をもってくれる人だけ。あとは自分ひとりでとことん考える。そういう姿勢は大事だと思います。
本の良さを思い出させてくれたのは「教科書」
――自立のサポート役として、一人で考える時「本」という存在は大きいですね。
大嶋利佳氏: そうですね、特に放送大学大学院の教科書は、一時失っていた読書への信頼を取り戻すことができたという、非常に印象深い書物です。
――読書への信頼が失われていたというのは、なぜだったのでしょうか。
大嶋利佳氏: 著者として活動していると、「分かりやすく、読みやすく、売れるように書け」と求められますし、社会にもそういう風潮を感じていました。図解やマンガで解説し、3分で分かる、というような本が流行していましたし。ですから、学生の時は、本は知恵の泉で、読めば読むほどいいものだと思っていたのですが、著述業をしているうちに、本がただの流行の商品にしか見えなくなってしまったのです。そこで、そんな本ばかりを読んだり書いたりしていても意味がないと思い、学問の根本に立ち返ろうと放送大学に入ったのです。大学の教科書というのは、「売れるように」とか、「面白く」とか、「分かりやすく」といったことは、ぜんぜん考えていませんよね。全科目、装丁も一緒だし、縦書きか横書きしか区別がありません。とにかく内容だけが勝負。参考文献リストにある本も読まないと、深いところは理解できない。
そういう教科書に触れて、「読書っていいな」という気持ちが蘇ってきました。私もいつか、読み手側が頭に汗をかくような、読みにくくてものすごく時間がかかって理解しにくい本を書いてやりたいなと思っています(笑)。
電子書籍によって改善される環境
――電子書籍は、本の復権や新たな可能性になりえそうでしょうか。
大嶋利佳氏: そうですね。私は電子書籍については非常に可能性を感じています。一番期待しているのが、読み手としてありがたい、手軽さ。これを持ってお出掛けすると、何百冊も持って出歩いているのと一緒ですから、物理的に楽になりますし、家も広くなります。夫も本好きなので、私の家の壁も至る所が、本棚になっています。(笑)ですから「電子書籍化されると、もっと片づくよね。」と話しています。もう1つは検索性ですね。全て電子化されていれば、キーワードで的確に探し出すことができますし、学業の仕方や、学術の進め方がもっとよくなるような気はします。
――電子書籍だからこそ、のメリットですね。
大嶋利佳氏: 独自のメリットとしては、視覚に障がいをお持ちの方や、普段本を読むことが難しい状況、環境が、電子書籍によって改善されていくのであれば、それはすばらしいなと思います。読み上げも今までの人による朗読では物理的に限界がくると思うので、初音ミクちゃんみたいなキャラクターが出てきて読んでくれるとか(笑)。実際色々なところで指導していると、視覚障がいをお持ちの方がプレゼンテーション講座に来られたり、話し方講座に来られるケースもありますが、そういう方たちの可能性が広がるのであれば、それは本当にすばらしいと思います。
本は本、電子書籍は電子書籍。どっちもアリ
――モノとしての、本の価値というのはどうでしょうか。
大嶋利佳氏: 電子書籍には非常に興味を持っていますが、存在や質感を持った物理的な本も依然重要です。昔あった、箱入り布表紙などという形の本、そういう装丁にも凝ったような、交流的な価値を持った、美術工芸的な本というのがなくなっていくのはさびしいですね。最終的には電子書籍が主流になっていくのかなと思いますが、それが読書家を増やしていくのか減らしていくのか、ということに私は非常に興味があります。この間、印刷関係の仕事をされている方と飲んだ時に、「本が、今のような形で流通しているのはたかだか数百年の話で、グーテンベルグの呪縛だ。この呪縛を解こうとしているのが電子書籍だ」と言われて、「なるほど」と思いました。文学や知識というのは、もともと口伝えで伝承されていたわけですよね。そこに印刷技術ができて今の本という形ができあがって、それが常識だと皆が思っているわけです。でもそうではなく、「情報伝達の長い歴史の一過程として本という形がありました、次はこれです」という考えも全く不自然ではないと私は思います。「紙じゃないと読んだ気がしない」という人がいてもいいと思いますが、だからといって電子書籍というものの価値を損なうものではないだろうと思っています。私はどっちもアリだと思って、期待しています。
江戸時代、武士はサラリーマンだった?
――これからも魅力的な「本」という媒体で、次に伝えたいと思っている事は何でしょうか。
大嶋利佳氏: 私の一番の愛読書である『葉隠』(「はがくれ」、江戸中期の書物武士の生き方について述べたもの)を、ビジネスパーソン向けの話し方の本として現代に蘇らせたいと思っています。
――「葉隠」時代の武士と、現代のビジネスマンと共通するところは。
大嶋利佳氏: 戦国時代が終わり、江戸時代中期になると、もう武士同士の刀を使った闘いはなくなり、斬り合いをすれば喧嘩両成敗でした。そういう、武力を使わない時代になると、「武士として俺は強いんだ」ということは、言動で示すしかない。そこでこの『葉隠』では、武士らしい、人になめられない強い言葉づかい、上司からも、部下後輩からも侮られない、強いものの言い方について教える部分がたくさんあります。この本は多くの人々に愛読されていて、解説書もたくさんありますが、コミュニケーション力という観点から読み解いたものはありません。現代のビジネスパーソンに、サムライとしてのコミュニケーションを提案できる本をぜひ書きたいです。その他にも、空手に関する本も書きたいと思っています。
――書き手、講師として重点をおいて取り組んでいきたいことはありますか。
大嶋利佳氏: 幸い研修のお仕事は割と順調ですし、2002年から今まで毎年、ずっと出版しています。今度、『今さらだけど話し方の大事な基本が分かる本』(三笠書房)というものが出ます。これは2002年に刊行された本が出版社を移して文庫化されたもので、単著としては36冊目です。また、今年中には女性向けのコミュニケーションの本も出る予定です。これだけ続けて出版できているのは、大学時代の松竹梅が活きているのだと思います(笑)。今までの色々な読書体験を通じて、シンプルな文章力が身についていることには本当に助かっています。今までもこれからも、一番取り組んでいきたいのは、本当の意味での強い人間を1人でも増やすことです。そのための活動が、空手であり、研修であり、本の執筆です。私が伝えたいコミュニケーションというのは、自分の信念を貫くコミュニケーションです。みんなと楽しく面白く話をするとか、言いにくいことを、角をたてないように上手く言うとか、そういう処世術めいた話し方のスキルには興味はありません。それよりも人の話は聞かなくていい、嫌われてもいいから言いたいことは言え、自分自身の言葉を磨きあげろ、と私は言いたいです。そうした姿勢があってこそ、多くの人の心を動かすコミュニケーション力が身につくのではないでしょうか。そういうものを、私はこれからも追求していきたいと思っています。
(撮影場所 代官山カラテスクール)
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 大嶋利佳 』