色んな人の目に触れる事で、研究は進んでいく
――本、教育を通じて、「今の日本のここを変えたい」と思われていることはありますか。
井上順孝氏: さきほど言った、広い視点から見て理解する力を養成したいです。それから研究者が本来の力を発揮できるような研究システムを作ること。自己点検などが流行していますが、実はものすごいロスになるのです。そのために教員が時間を割いて、それで一体何が変わるのか。「その時間、エネルギーを教育や研究に注いだ方がいい」という想いがあります。自由競争をしろと言いながら、予算獲得のための文章作成に頑張ったところに分配するという、アメとムチのような文部行政は、私は好きではありません。研究教育以外の事務的な仕事をどんどん増やしたことが、結果的には国際的な競争力を削いでいますよね。本当に日本の教育レベルを上げたいと思ったら、今のような方法をとらないのではないでしょうか。長い目で見て、やっぱり今のままでは、人が育たないと私は思います。
――信念の不在という印象も受けますね。
井上順孝氏: 例えば、「日本社会を良くするんだ」という表現があった時に、良くするというのは、どういうことなのかを考えないといけません。お金の話なのか、それともみんなが生きがいを持つことなのか、それとも貧困の問題などが少なくなることなのか。そうやって考えていけばその人なりのビジョンが出てきて、次第に具体的な案が出てくる。次に「これは果たして実現性があることなのか」と考えます。コンペティションにもなるでしょうし、そうやって議論していく中で、「やっぱりこっちがいいか」という風に進むのならばいいのです。だけど今の教育情勢に関しては、どういうビジョンがあって、どこに進みたいのかがよく分かりません。競争力と言うけれど、なんのためのベスト1なのか。「グローバル化に対応せよ」と言っているけれど、どうなることがグローバル化への対応なのか見えづらい。「これが正しい」という1つを提示することは無理だとは思いますが、その時々で、それぞれの立場から、「これが良いのではないか」というアイディアと、それに対する具体的な提案が並び立つことによって、1歩進むことができるという風に私は考えています。そうやって持ち寄って、多くの人が「これだ」というものを重視するのがいいのではないでしょうか。そのプロセスをたどれば、ベストではなくても、ベターなものがいくつか出てくると私は思います。
――やるべきことはたくさんありますね。
井上順孝氏: 今まで自分に少し欠けていたなと思うのは、聞いている側からの視点を取り込むという部分。インターネット社会になってから、常に意見を交換し合う手段が格段に充実しました。あちこちに広がって「自由にやりましょう」というのは、それでいいと思いますが、発信したものに対して、もう少し責任を持って、真剣なリプライに対して答えていくという仕組みを作らなければいけないと思っています。Twitterで色々と発信している研究者もいますが、仲間内で「いいね!」をやり合っているようではいけません。もっと生産的な、色々な人との情報交換というようなものを、どうしたら実現できるのか。それが今の個人的な課題です。
――紀要を電子化して公開したのも、その1歩ですね。
井上順孝氏: そうですね。理科系の人と話している時に、「欧米ならば、研究しようと思ったらネットで最近の研究を全部調べて、その上で成されていないものを見つけ出していくんだ。だから、結果をアップするのは当たり前。」という話をかなり以前に聞きました。考えてみれば研究においては、それは普通ですよね。これは確かにいい知見だと思ったら、それを踏まえた上で自分のものを出していく。そのためには成果はできる限り広く公開した方がいい。日本語が読める人はそれをベースにできるし、英語ベースにしたい人は英語文献を見ればいいのです。
情報は仲間内で使われることも多いのですが、それが違う分野の1人に発信されることにより、発展する場合もあります。ネットだと色々な分野の人が読むので、その可能性もすごく大きいと思います。去年の学術大会でやった、「ネットワークする宗教研究」という講演内容をもとに8月に『 21世紀の宗教研究』というタイトルの本にします。講演してもらった国際比較神話学会の会長のWitzelさんと、長谷川眞理子さんという進化生物学者の方。そしてもう1人、京都大学でキリスト教神学をやっている芦名定道さんに執筆してもらいました。私は企画者として冒頭に書き下ろしの文を加えました。宗教研究は、生物学、さらに脳科学の進化など、色々なものに目を向けるべきだといった内容となりました。「私たちの学会でやっている最新の議論はこうなんです」とネットにアップして、関心のある人が見ることができるようにすること。そういう風に掛け合わせることによって、とんでもなく面白いものができるかもしれません。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 井上順孝 』