「これでいい」はない。
毎日に感動していれば、一生現役でいられる。
地球科学者、惑星科学者である松井孝典さんは、研究成果を社会に還元し、人々に紹介するため、「パノラマ太陽系」、「地球大紀行」(ともにNHK総合テレビ)などのテレビ番組出演のほか、『我関わる 故に我あり』、『生命はどこから来たのか』、『天体衝突』などの著作では、宇宙からの文明論や惑星科学、地球史、生命史と宇宙との関わりを紹介しています。また、研究者としては、地球、大気と海の起源を解き明かしており、1986年には英国の科学雑誌「ネイチャー」に「水惑星の理論」を発表され、注目を浴びました。また、2007年には著書『地球システムの崩壊』が毎日出版文化賞を受賞されました。今回はご自身の科学・哲学への考察や、電子書籍についてお話していただきました。
第一人者としての「ゼロ」からのスタート
――地球学や比較惑星学は、松井さんが研究を始めた当時、日本で初めての分野だったそうですね。
松井孝典氏: 比較惑星学とか惑星科学は、アポロが月の石を地球に持ち帰ってきてから初めて学問として成立するようになりました。研究生活を始めたのはその頃で、惑星科学の誕生とともに研究生活をスタートしてから、現在までずっとやり続けています。その頃は、今でいう地球科学という学問もまだありませんでした。学問として地球物理学も無く、その分野は地震学や気象学などに細分化されていました。地質学はありましたが、古生物学や岩石学、堆積学といった名称の学問の総称としてあったのです。そういう状況の中で「プレートテクトニクス」という考え方が1960年代に登場して、1970年代に初めて地球科学という1つの体系ができてくる、そういう時代でした。その頃に登場した惑星科学は、地球科学のように地球物理学や地質学のように150年近い歴史や学問が体系化されているようなものではなくて、これから試行錯誤しながら太陽系の起源や進化を解明していこうという段階でした。
今風に言えば、天体を構成する要素の全体の関係性の中で「地球という天体とは何なのか」ということが、初めて定義できるのではないか、というところからスタートしたのです。そうすると地球の諸学を全部統合しなければいけません。我々の存在だって地球の上で定義しなければいけない。そこで人間圏という概念を思いついたのです。このようなことを考えていた頃は、大気と海の起源を研究していたのですが、この問題を解明しようと思ったら、実は地球のコア(核)まで含めた元素の分配を理解しないと解けないことに気付いたのです。その時から地球システムという概念も使い出しました。この頃から学問の統合化という、今の視点に近い方向に少し変わってきましたね。
――その頃からサイエンスの手法と、そこで明確になった事象を哲学的に扱うようになっていったのですね。
松井孝典氏: そうですね。思想的には、統合化という今の視点に近い方向に変わってきましたね。一方でサイエンティストとしては相変わらず二元論と要素還元主義的にやっています。例えば今のテーマは、超高速の天体衝突という現象の物理と化学を解明することです。これは実験的にも理論的にも世界で最先端の研究をしています。それがどういう意味を持つのかという点に関しては、最近出した本で“斉一説か激変説か”というような非常に哲学的且つ歴史的な話として紹介しています。科学者としてやっていることは相変わらずですが、その学問的背景を説明するものとして、統合的な視点として、まさに我々の世界観とか歴史感と関連づけて紹介しています。しかし、その背景の説明は論文にはならないので、本に書いているということです。
はじまりは、「人生を考えたこと」
――専門的な分野を、身近な話題として本で伝えられているのですね。反響も大きいですね。
松井孝典氏: 読んでくださった方から「目から鱗」という言葉はよく聞きますね。例えば、一般的に考えられている環境問題と僕が紹介する環境問題は全く違うとか、「人間とは何か」というテーマについて、ありとあらゆる主張が、「今まで世の中で言われていることとは違う」という、そういう評価はありましたね。
――今までつながらなかったことをつなげる、先生の視点の持ち方が気になります。
松井孝典氏: それは「もともと」です(笑)。「もともと」という言い方はおかしいかもしれませんが・・。
高3の時にまず最初に考えたのは「人生」についてです。だってそうしなきゃどの大学のどの学部に行くか選べないじゃない?「大学で何を勉強するのか」という時に、自分がどういう人生を送りたいのかが決まっていないのに、文科も理科も選べないですよね。それが現在のような人生に至る最初のきっかけです。
でももっとさかのぼると何でしょう。原体験は小学生の頃でしょうか。話していてだんだんと思い出してきました。