松井孝典

Profile

1946年、静岡県生まれ。東京大学理学部卒業、同大学院博士課程修了。理学博士。NASA研究員、マサチューセツ工科大学招聘科学者、マックスプランク化学研究所客員教授、東京大学大学院新領域創成科学研究科教授を経て同名誉教授。2009年4月より千葉工業大学惑星探査研究センター所長。 専門は、比較惑星学、アストロバイオロジー。 著書に『地球システムの崩壊』(新潮選書)、『宇宙人としての生き方』(岩波新書)、『我関わる、ゆえに我あり』(集英社新書)、『天体衝突』(講談社ブルーバックス)、『スリランカの赤い雨 生命は宇宙から飛来するか』(角川学芸出版)、『生命はどこから来たのか? アストロバイオロジー入門』(文春新書)など多数。

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研究の成果と、思考が重なった時


――大学やその後の研究は、先生の中でどのように統合されていったのでしょう。


松井孝典氏: 1970年代では、月や小惑星の起源の論文を書き、1980年代は、“地球という惑星だけがどうして地球になったのか”、というようなテーマの仕事をやって、地球に関しては『Nature』誌 に論文を2つ書きました。「これで、地球がどうして地球になったのかという謎解きはある程度形にできたな」と思いました。それで、いよいよ「次は生命だ」と、そういう方向にシフトしていく時に、ちょうど環境問題が世間の関心を集めていて、マスコミなどから「環境問題について話して下さい」という依頼が多くなってきたのです。“環境問題とは何か”というと、やっぱりそれは文明の問題ですよね、“じゃあ文明をどう考えるのか”というふうに考えると、「やっぱり歴史・哲学だよね」と、高校の頃の関心に戻ってきたのです。

そういうことを考え始めていた頃、たまたま「地球システム」というアイデアにたどり着いたのです。“システム論的に人間と文明をどう位置付けるか”、という問題です。そこで思いついたのが、現在の地球システムには、“「人間圏」という構成要素”が分化しているのではないかというアイデアです。人間圏を作って生きる生き方、それがまさに「文明」なのだという発想が芋づる式に出てきたのが1980年代後半のことです。90年代からは、自然と人間を統合し、あるいは社会を統合していく「統合化」という試みが始まって、執筆活動では、その頃からずっと「統合化」の方向を追求しています。研究としては、相変わらず二元論と要素還元主義的にやっているんですけどね。一度は、二元論と要素還元主義的の世界で最先端までに進んでいってから、もう一度初心に返ってようやく総合的に自分で考えられるようになったということですね。

――研究の成果が集まって、初めて統合的に捉え考えることができると。


松井孝典氏: 最初の頃、駒場にいた頃は哲学の本をよく読んだのですが、全く分かりませんでした(笑)。当時の哲学書や雑誌の『思想』を読んでもほとんど理解できなかったのです。しかし、1980年代になって自分の頭で学問を考えるようになった時に、大学時代に読んできた哲学書や『思想』に書かれていたことも、「そんなに難しいことは無いんだな」と分かったのです。「自分がやっていることもまさに宇宙の思想であり、歴史であり、哲学なんだ」ということで、「統合化」ということができるようになったのです。

PRとは社会に還元するための発信である


――自ら考えるようになって初めて分かるようになったということですね?


松井孝典氏: そうです。自分が完全に理解していないと、相手に伝わるように易しく書けません。僕が大学院の頃、学会に行ってどの発表を聞いても、数式ばかりで何をやった研究なのかよく分からなかった。ところがDr.を取って外国に拠点を移して研究者の発表を聞くと、発表がすごく分かりやすい。そのためか質問もいっぱい出る。質問が多ければ多いほど良い講演という評価になるのです。外国では、質問が出ない講演ってダメなんですが、日本は全く逆で、なんにも質問が出ないのが良いとされていました。自分が何をやっているか、ということを聴衆に分かりやすく発表するのが良い講演なのです。それが、僕が外国に移って1番最初に気が付いたことですね。

――日本とシステムが違う訳ですが、それは大学そのものの役割にも当てはまりますか。


松井孝典氏: 税金を使って行っている研究である以上、その成果を国民に分かりやすく還元しなきゃいけない、というのが私が在籍したNASAにおけるパブリック・リレーションズ(PR)の意味でした。もちろんそれは「宣伝」と違う。国立大学での研究は税金を使ってやっているという認識を持たなくてはいけない、と思いました。その後、東大に戻ってきてから、当然真の意味でのパブリック・リレーションをしなければいけないということですよね。そこでマスコミの要請があれば、テレビでも新聞でも周りの目を気にせずに出るようになりました。当時の日本では、学者などアカデミックな人々がマスコミに出ることは、よくないという風潮でした。しかし、たまたま僕のいた研究室が竹内均先生(地球物理学者、科学雑誌Newton初代編集長)の研究室で、当時の他の教授たちとは違い、全くそういうことに抵抗が無い方だったので、僕自身もその路線で突っ走ることができたのです。

その頃、NHK総合で科学の番組を制作する話がありました。教育テレビではなく総合テレビのほうでです。そこで、1980年頃から「パノラマ太陽系」や「地球大紀行」などの番組に次々と関わりました。というのも、1つは「統合的」という方向に関係しています。さっきのパブリック・リレーションズという考え、国民に分かりやすく還元するためには、やっぱり「物語」として知識を分かりやすく見せなきゃいけない。「統合的」というのは「物語」として語るということでもあるのです。また、知識を伝えるというよりは、考え方や物の見方を伝えるのが重要だというふうに思っていました。そういうところが、執筆をはじめ、僕のいろいろな活動において「ちょっと他の人とは違う」という感じが持たれたのでしょうね。

ただ「私は社会貢献だけのためにやっています」ということではありません。それは義務であり責務だから果たすということです。基本的には自分の人生だから100%自分が満足して生きるということが出発点なんです。人や社会に貢献したりするために自分は生きていると考えた事はありません。僕は、人生について考え始めたその時から、非常に利己的なのです(笑)。

著書一覧『 松井孝典

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