幼少期から根付いている「レンタルの思想」
松井孝典氏: 生まれたのは静岡県の遠州森町ですが、幼稚園も小学校も東京でした。幼稚園、小学校の頃から夏はほとんど田舎である遠州森町で過ごしていたので、僕の「ふるさと」のイメージはそこになるでしょう。
小学校の頃というのは読書が好きでしたので、貸自転車屋さんで借りた自転車に乗って、貸本屋さんに行って本を借りて読んでいました。僕たちの頃は読書といったって本なんか買えなくて。1冊10円くらいだったでしょうか?本を借りてきて、1週間ぐらい借りて、読んで返してまた借りてくるというのが読書でした。すべて借り物だった。これが『レンタルの思想』に結び付く原点ですね。
――貸本屋さんでは、どんな本を読んでいましたか?
松井孝典氏: 歴史物がほとんどです。いわゆる「英雄豪傑」の類について書かれている本です。貸本屋ですから、そういった本が多く、そのジャンルのものばかり読んでいました。だから小学校の頃は、「宮本武蔵や真田幸村のような英雄豪傑になりたい」という夢がありました。それで武術を極めたいということで、剣道をやりたいと思ったのです。小学校の時には両親の反対があって習う事はできなかったのですが、学芸大附属の小金井中学に進学して念願の剣道部に入りました。やりたくてしょうがなかったので、入部したての1年生の時から憑かれたように稽古に励みました。学芸大学の付属でキャンパス内に校舎があったので、中学生の頃から大学生とも稽古ができましたし、朝5時起きで寒稽古というのも、全く苦痛に感じませんでした。まさに、山中鹿之助ですよ。月に向かって「天よ、我に艱難辛苦を与えたまえ」と祈るという(笑)。「剣の道を究めたい」という思いで中学校の時は必死に部活に励んでいましたね。「道を究める」というのがその頃からの僕の考え方です。
――やはりその頃読んだ本が、先生の思考に大きく影響を及ぼしているんですね。
松井孝典氏: やはり読書が大きく影響していると思います。しかも先ほどお話したような英雄豪傑のもの、例えば猿飛佐助とか、霧隠才蔵とか。ありとあらゆる人物の物語を読みました。そういった本を読んでいたせいか、小学校の頃は「忍者になろう」と思って必死にがんばっていました(笑)。忍者の本に『高く飛ぶ』修行の話が出ていると、そのとおりに、苗木のちっちゃいのが、だんだん伸びていくのを毎日飛んで、そうしていると、2メートルでも飛べるかと思ってやっていました。どんなことでも、やると決めたらとことんやるということが、究めるということにつながっています。忍者になろうと思っていたから、「バランス感覚もよくしなきゃ」と、昔住んでいた家から武蔵境の駅まで続いている廃線になった線路のレールの上を歩いて通っていました。「まず1本のレールの上を、目をつぶってても落ちずに歩けるようにならなくては」と、毎日「修行」していました。そういったことでバランス感覚や跳躍力を養い、近くに雑木林があるので、そこで棒きれを振って、剣道の真似事をやっていましたね。
そんな風に何かを極めたいと思っているうちに、「そのためにはどうしたらいいのか」ということを考える思考が形成され、高校生の時も進学先を考えるにあたり、まずは「どんな仕事に就こうか」という、より大きな「人生」の意味から考えたんです。人間の一生という限られた自分の時間を、どうやって満足して使うかというのが1番重要なことでしょう?だから、自分の好きなことをやって給料をもらって生きられれば、こんな最高なことは無いですよね。「じゃあ学問を自分の道にしよう」と人生としては決めました。次はどういう学問かですが、経済学、工学、医学や農学といった、その成果が社会に対してダイレクトに還元されて人々を豊かにする学問もありますが、僕はどちらかというと、「人間とは何か」、「自然とは何か」といった、根源的なものを探求する方に興味をそそられました。
――「文、理」の枠組みからの出発では、人生の目的を考える上で不都合ですね。
松井孝典氏: そうなんです。そうすると、文学部と理学部か、どちらかになりますが、どちらかを選ぶのは難しいですよね。僕は、本を読むのがすごく好きでしたが、どちらかに決めなければいけないと考えたとき、「一生本を読み続けるのはちょっときついかな」と思ったのです(笑)。哲学や歴史のように、既に存在する、過去の仕事を楽しんだりするのも好きでしたが、「やっぱり自分の頭で、全く原理的なところから出て考えていく方がいいな」となんとなく思ったのです。それで、ようやく考えがまとまり理学部に決めました。
著書一覧『 松井孝典 』