水の「問題」にぶつかる
――「水を得た魚」になった橋本さんは、その後出版社に進まれます。
橋本淳司氏: 最初は日本実業出版社に入り、ビジネス書の編集に携わっていました。K.K.ベストセラーズに移ってからは、一般の書籍の編集をしていました。その頃の僕は、大きな誤解をしていて「編集者はいずれ、ものが書ける」と思っていたんです。「嵐山光三郎さんは本を書いているけれど、肩書きは編集者だから、自分も編集者になれば本が書ける」というイメージがあって、編集という仕事をきちんと理解していないまま出版社に就職してしまったのです。「書く仕事がしたい」とフリーのライターになることにしました。編集者側から見るフリーの人たちは、自由で楽しそうだったのですが、実に厳しい道だと実感しましたよ。
水のことを中心にと思っていたものの、水の雑誌なんてそうそうありません。最初は、旅行誌のライターなどをやっていました。ある日、“バングラディシュの現地をルポする”という仕事が舞い込んできました。
――水の問題を色々と抱えている場所ですね。
橋本淳司氏: それまで、カナダやフランスなど「水」を切り口に取材をしていましたが、初めて「水道水」のない場所での取材でした。川は洪水により汚染され、井戸は“ヒ素が出る”という印で赤く塗られていたり、バツが付いたりしているものばかり。現地の女性に話を聞いてみると「きれいな水があるのは、ここから3時間もかかるところ。毎日そこに通うのは困難なので、仕方なく汚染された水を飲んでいるんだ。」と答えてくれました。今までは「どの水がおいしい」とか「どの水が体に良い」という切り口で取材したり、『水のおもしろふしぎ雑学』という本を書いていましたが、そういった今までの路線を進めていくのか、それとも問題解決の方へ進むかと考えていた時期でしたね。
――水の問題へと踏み出す決心をされることになったのは。
橋本淳司氏: 本を書くのは自分の一つの目標でもあったし、『水のおもしろふしぎ雑学』では、納得いくものができたと思っていました。しかし、くだんの大叔父から「校正ミスが三つもあるし、お前の本には哲学がまるでない」と言われ……、ちょうど僕自身も水の問題をどう捉えるべきか、どういう哲学を持って見たらいいのか迷っていた時期でした。大叔父からしてみれば、子どもの頃のレポートの延長に過ぎないということで、さすがにガクッとなりましたが、その言葉がきっかけとなり「日本人は、どういう哲学で水を使っているのかな」と “哲学”を意識するようになりました。
人間と水の関わり合いの根本には、哲学があるはずなのです。実は、水の本とほぼ同時期に、サイエンス系の雑誌で連載していたものをまとめた、『脳の使用説明書』という本を出したのです。すると、また別の親戚の人から「水をやり始めたと思ったら、もう脳か。お前は、ずいぶん軽い人間だな」というようなことを言われました(笑)。その頃には、自分の中でも「水の問題に、きちんと向き合おう」という思いが固まってきていたので、その親戚の言葉を受け止めることができました。僕がブレることなく「水」に取り組んでこられたのは、そういった親戚の人たちの言葉が大きいのだと思います。
――どのような「哲学」を持って書かれていますか。
橋本淳司氏: 僕の出身である群馬県には「上毛かるた」があります。そのかるたの中に、「心の灯台 内村鑑三」という一枚があって、子どもの頃から暗唱していましたが、具体的にどんな人なのか、彼の著作である『後世への最大遺物』に出会ったのは、30代の前半でした。その文中に“世の中に出てきたからには、何かものを遺さなくてはいけない。後世にお金や事業を遺すのもいい。金も事業もないなら思想を遺せ。思想は書物として遺していける。それが高尚な生涯である”ということを言っています。それでやっと「心の灯台 内村鑑三」というかるた札の意味がわかりました。それで本を書くことに、パッションを感じるようになりました。僕は、水と人間の本当のあり方ってどういうものなのかというものを、死ぬまでには書いて遺しておきたいなと思います。
――『通読できてよくわかる 水の科学』は、水問題の教科書的な存在となっています。
橋本淳司氏: アクア・コミュニケーターという仕事の一環として、水のことを教えられる人を育てるという仕事があります。大学で講義をしたり、中国で節水リーダーを育てたりもしました。今は静岡の三島北高校という高校で、水を通じて真の国際人を育てるという、五年間のプログラムの推進委員をしています。そういう活動を通じて、高校生から大学の文系の人たちがわかりやすい、水問題の教科書の必要性を感じました。
社会で起きている色々な水問題は、その事象だけがクローズアップされがちです。水の沸点や性質など、基礎知識がないまま問題を議論していても深まりません。そうした無理解が冒頭でもお話しした対立へとつながっていきます。まずは、水というものの不思議な性質、人類と水との関係までさかのぼって理解が出来るような内容を、思いを込めて本に記しました。
「水」は社会の鏡になる
――橋本さんにとって、本はどういう存在でしょう。
橋本淳司氏: その本の中の言葉が、自分にどういう響き方をするかによって、自分の知識レベルや人間的なレベルや興味がわかるような気がします。昔読んだ本を振り返って読んでみると、以前は全然目に留まらなかったフレーズが目にとまるようになったり「なんでこんなところに、赤線を引いたのだろう」と不思議に思うこともあります。
小・中学校の教科書には、夏目漱石や俳句などが載っていますが、その年齢でそういったものが心に響くかというと、なかなか難しいですよね。今になってもう一回読んでみると、実はすごく難しいこと、深いことを言っていたのだなと思ったりもします。本は、そういう自分の成長を見せてくれる鏡のようなものだと僕は考えています。新しい本が出た時は、電子書籍で読んで、心に響いたものは本で買ったりもしています。
水も、そこに住んでいる人たちの生活を映す鏡になっていることが多いです。水を汚しても平気な人たちもいれば、きれいに守っていこうという人たちもいます。そういうところまで、水は映し出します。僕は、本は自分を映し出す水面のようなものだと捉えています。そして、僕自身が社会の水鏡になれたらいいなと願っています。
――社会の水鏡に。
橋本淳司氏: 「水を通して見ると、社会がこうやって見えますよ」というようなことを伝えたいのです。色々な町に行くと、水の問題は、町づくりの基礎の部分と重なっていることが多いのがわかります。土地利用をどうするかということと水の問題は、表裏一体。食べ物を作って生活するという選択する人もいるし、工場を誘致してそこで働くという選択をする人もいるでしょう。けれども、工場を作ったために水が汚染され今までコミュニティの中で共通の宝だった水が奪われてしまうというケースもあります。
僕は、水や環境という分野を通じて、良い町づくりのお手伝いをしたいと思っています。 “水を通して社会を見る”という見方をしている人は、まだまだ少ない。例えばハンバーガー一つとっても、2900リットルの水を利用しているわけで、ハンバーガーを「お腹がいっぱいだ」と捨ててしまったら、2900リットルの水を海外から輸入して、即座に捨てたことになります。水を大事にする生活の仕方を考えていくためには、同じような見方をしてくれる同志が必要となります。今は、地下水保全をすすめる自治体のお手伝いをしています。
――地下水に関する法整備も進められています。
橋本淳司氏: 今年(2015年)は、地下水法元年になるだろうと言われています。川の水の使い方には、今までもルールがありましたが、あくまで“土地の付属物”と考えられていて、土地の所有者に地下水を汲む権利があると言われてきました。でも、他の人の土地ともつながっているのだから、知らない人がいきなり来て、どんどん地下水をくみ上げても、全く問題がないかというと、そうではありませんよね。水源地など巡る報道は、五年ぐらい前からありますが、そもそも無法地帯であること自体が問題なのです。そのためにも、ルールを作ろうというのを今、やっていて、僕もそのメンバーの一人として活動しています。一つの指針のようなルールを作りたいと思っています。そういった活動を通じて、それぞれのコミュニティの人たちが「自分たちの水を、どうやって持続的に使っていったらいいのか」ということを考えてくれるようになって欲しいですね。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 橋本淳司 』