自分の「道」において、ほかの人の成長や幸せを支える
株式会社道(タオ)代表取締役の河合太介さんは、経営コンサルタントとして活躍しつつ、早稲田大学大学院で非常勤講師をつとめ、またベストセラー『不機嫌な職場』(講談社現代新書)の著者としても著名です。リーダーシップ、組織風土の専門家としての河合さんに、本についてのお考え、仕事、組織について思うことなどを伺いました。
世の中を変えたいから、売れる本しか書きたくない
――現在、大学院や大学などの教育現場での講師をはじめ、成長と変革、戦略推進のための組織人事の専門家としてご活躍中ですが、それだけではなくて、ビジネス書の著者としても今27万部を突破されていますね。
河合太介氏: 『不機嫌な職場』はそうですね。僕はその昔ケビン・D・ワンのペンネームで、『ニワトリを殺すな』(幻冬舎)という本を書いています。
――ここ最近どんなことをされているかをご紹介いただけますか?
河合太介氏: メインは経営コンサルティングという領域です。僕は金融機関の研究所に入って、それから外資のコンサルティングに行き、独立して自分の会社を作ろうとしたのが40歳になる手前のところでした。社名が「道」と書いて「タオ」というんです。これは、志のある組織や、志のある人の歩いていく道を応援していくことを自分の道とし、またその目的にフォーカスした仕事をしたいなと思ったからなんです。
コンサルティングの現場とは、必ずしもそういう志ばかりをお手伝いできるわけではない。僕から見た時に立派な志とは、「社会にとっていい会社になりたい」とか、「従業員にとっていい会社でありたい」とか、利己を超えて利他の視点で志を持っている組織を目指すことなんです。どの会社もこういうことを主張しているのですけれども、本当に心で思っているかどうかが大切で、そういう志を純粋に応援したいと思ったんです。なぜかというと、それは僕の家系が短命で、特に男子系が短命なんです。最長が僕の父親の64歳で、僕も60歳になると多分何らかのアラームがあるかなあと思いまして。DNA的にそうだろうなということを父親が64歳で亡くなってから色々考えたんです。その時僕は「臨終満足」という言葉を自分で作ったのですけれども、やっぱり悔いのない死に方をしたい、そうすると僕に残されたのはあと20年かと。それで、60歳以上生きられたら後は神様からのご褒美ということで「ラッキー」と考えることにしました(笑)。
――「臨終満足」のためにも、ご自分の会社で、志を大切にしていらっしゃるんですね。
河合太介氏: コンサルティングファームに在籍していれば楽な部分もあるんです。しかし、自分の中にはDNA的なリスクがあるので、一応20年という時間を臨終満足にしたいなと思った時、「志」のある組織や人とだけ関わっていたかった。一般的に僕が社会的に認識されているのは、人と組織のコンサルティング領域なので、その領域のお仕事が中心であることは事実です。それにまつわる研修もあるし、研修の中身にはコミュニケーションやリーダーシップもあります。あるいはコンサルティングであれば、ある会社が「本当にこんな会社になりたい」という志を実現するために必要な人や組織の仕組みを作っていくということも中心です。でもそれだけではなくて、例えば大学で教えるということも正規の職員ではないけれども、やはり未来の人材を作っていくということでは僕の中で理にかなっている。ですからお引き受けしました。大学の収入は決して高いものではないのですけれど(笑)。
――収入のためではなく、志を育てるためにということですね。
河合太介氏: 僕は相当準備をして授業をしているので、自分で言うのも何ですけれども、学生には高い評価をいただいているんです。志を持つ人や組織を応援することが、やりたいことなので、本を書くこともその1つと考えています。だけども、本を書くということ自体が目的じゃないんです。やはり社会にいい影響を与えたい。だから売れる本じゃないと書きたくないんですよ。
――影響を与えなければいけないからこそ、売れる本を書くんですね。
河合太介氏: そうなんです。売れないって自己満足じゃないですか。売れているっていうこと自体がやはり社会に影響を与えますよね。例えば『不機嫌な職場』は27万部超いったわけで、そうするとあの本をきっかけに、コミュニケーションを企業のテーマとして扱う動きがかなり加速化したとは思うんですね。本を書くにしても、自己満足のために自分が「本を何冊書きました」とかそんなのはどうでもいい、やっぱり自分の中にテーマ性を持っていて、今の問題に何らかの提言をすることが目的だと思っているんです。
よく言われるのが、『不機嫌な職場』が売れて、『ニワトリを殺すな』が売れて、なんでもっとピッチを上げてたくさん書かないんですかって。何冊も何冊も、続編も含めて書けばいいのにって言われるんですよ。でも僕の目的はそこにない。自分の中のエネルギーとテーマ、揺さぶりがあったことしかやりたくないので、別にそういう行動には走らないんですね。実は見えないところですけれど、マーケティングや戦略も、その領域を1つ自分の中に持っているので、実際に自分でスイーツの会社の社長をやって立ち上げて成功もさせました。
――「スイーツマジック」ですね。
河合太介氏: そうです。それも別にスイーツ屋がやりたかったわけではなくて、やっぱりもともと出会った方の志を応援したいなと思った。その時にその方はお菓子づくりの技術は持っているけれど、商売やマーケティングができないわけです。そうすると、そこは僕が補完したほうが成功すると思ったので、別にプリン屋がやりたいとか、スイーツ屋がやりたいとかすらないんですよね。
――そういう形で、お仕事、いわゆる「お金で考えたらとてもじゃないけれど」というところも、全て理念で動かれているんですね。
河合太介氏: そうですね、そこが中心ですね。
なぜ「利己的」に生きないのか
――なぜ利他的に生きようと思われたんでしょうか?
河合太介氏: 「自分の中の幸せの定義」という答えになると思うんですけれど、僕が29歳ぐらいの時に、「これからはベンチャーだ」と言われるような時代で、その時に成功されていたTSUTAYAの増田さんや、任天堂の山内さん、或いは有名なコンサルタントの方たちが講師をされるベンチャー経営塾が開いていて、そういうところで勉強させていただいて事業プランを書いたんですよ。それで、グループプランなんですけれど1等賞を取ったんです。その時にベンチャーキャピタリストの方に、「これを本気でやるんだったら投資するよ」って言っていただいたんです。
実はその時が大きな自己問答のきっかけになって、「自分にとって笑顔が出る瞬間って、幸せな瞬間って何だろうって」真剣に自問自答したんです。その時に、社長になって事業を成功させて一獲千金をすることが幸せかどうかと考えた時に、僕の中の日常の笑顔が想像できなかったんです。むしろ、別に自分の名前は出なくてもいいけれども、何か頑張っている人を応援した結果、「ありがとう、助かったよ」とか、「河合さんがいてくれて助かったよ」とか言ってもらえる日常のほうが、笑顔の自分が想像できた。僕は多分そっちのほうが日常的な中で幸せを感じる人間なんだなと、大きな自問自答の中で自分の幸せの定義をしたんですよ。
――それが29歳の時だったんですね。
河合太介氏: そうですね。その時なぜベンチャーの勉強をしたかというと、その当時コンサルティングをやっていたんですけれども、もしかしたら自分の中にほかにポテンシャルがあるんじゃないかと考えていたんです。当時はそうやってベンチャーで儲かったらいいなあというのもあって(笑)。それで実際にビジネスプランで1等賞を取って、いざ自分がそういうシチュエーションの中に追い込まれていく中で、答えが出たという感じですね。自分の幸せのカタチがそうだとすると、「コンサルティングの仕事って意外といい仕事じゃん」と思った(笑)。でも今のままだと本当の意味での、人様に役立てる「幸せ力」というのは作れないと思って、たまたま縁があったのでちょうど外資に行く機会があったんです。ここのほうが幸せ力を作る上でいいと思って。まだ30歳ぐらいだったので、力をつけられる場に行ったほうがいいなということで、転職というか企業を変わったんですね。
著書一覧『 河合太介 』