自分の「道」において、ほかの人の成長や幸せを支える
株式会社道(タオ)代表取締役の河合太介さんは、経営コンサルタントとして活躍しつつ、早稲田大学大学院で非常勤講師をつとめ、またベストセラー『不機嫌な職場』(講談社現代新書)の著者としても著名です。リーダーシップ、組織風土の専門家としての河合さんに、本についてのお考え、仕事、組織について思うことなどを伺いました。
世の中を変えたいから、売れる本しか書きたくない
――現在、大学院や大学などの教育現場での講師をはじめ、成長と変革、戦略推進のための組織人事の専門家としてご活躍中ですが、それだけではなくて、ビジネス書の著者としても今27万部を突破されていますね。
河合太介氏: 『不機嫌な職場』はそうですね。僕はその昔ケビン・D・ワンのペンネームで、『ニワトリを殺すな』(幻冬舎)という本を書いています。
――ここ最近どんなことをされているかをご紹介いただけますか?
河合太介氏: メインは経営コンサルティングという領域です。僕は金融機関の研究所に入って、それから外資のコンサルティングに行き、独立して自分の会社を作ろうとしたのが40歳になる手前のところでした。社名が「道」と書いて「タオ」というんです。これは、志のある組織や、志のある人の歩いていく道を応援していくことを自分の道とし、またその目的にフォーカスした仕事をしたいなと思ったからなんです。
コンサルティングの現場とは、必ずしもそういう志ばかりをお手伝いできるわけではない。僕から見た時に立派な志とは、「社会にとっていい会社になりたい」とか、「従業員にとっていい会社でありたい」とか、利己を超えて利他の視点で志を持っている組織を目指すことなんです。どの会社もこういうことを主張しているのですけれども、本当に心で思っているかどうかが大切で、そういう志を純粋に応援したいと思ったんです。なぜかというと、それは僕の家系が短命で、特に男子系が短命なんです。最長が僕の父親の64歳で、僕も60歳になると多分何らかのアラームがあるかなあと思いまして。DNA的にそうだろうなということを父親が64歳で亡くなってから色々考えたんです。その時僕は「臨終満足」という言葉を自分で作ったのですけれども、やっぱり悔いのない死に方をしたい、そうすると僕に残されたのはあと20年かと。それで、60歳以上生きられたら後は神様からのご褒美ということで「ラッキー」と考えることにしました(笑)。
――「臨終満足」のためにも、ご自分の会社で、志を大切にしていらっしゃるんですね。
河合太介氏: コンサルティングファームに在籍していれば楽な部分もあるんです。しかし、自分の中にはDNA的なリスクがあるので、一応20年という時間を臨終満足にしたいなと思った時、「志」のある組織や人とだけ関わっていたかった。一般的に僕が社会的に認識されているのは、人と組織のコンサルティング領域なので、その領域のお仕事が中心であることは事実です。それにまつわる研修もあるし、研修の中身にはコミュニケーションやリーダーシップもあります。あるいはコンサルティングであれば、ある会社が「本当にこんな会社になりたい」という志を実現するために必要な人や組織の仕組みを作っていくということも中心です。でもそれだけではなくて、例えば大学で教えるということも正規の職員ではないけれども、やはり未来の人材を作っていくということでは僕の中で理にかなっている。ですからお引き受けしました。大学の収入は決して高いものではないのですけれど(笑)。
――収入のためではなく、志を育てるためにということですね。
河合太介氏: 僕は相当準備をして授業をしているので、自分で言うのも何ですけれども、学生には高い評価をいただいているんです。志を持つ人や組織を応援することが、やりたいことなので、本を書くこともその1つと考えています。だけども、本を書くということ自体が目的じゃないんです。やはり社会にいい影響を与えたい。だから売れる本じゃないと書きたくないんですよ。
――影響を与えなければいけないからこそ、売れる本を書くんですね。
河合太介氏: そうなんです。売れないって自己満足じゃないですか。売れているっていうこと自体がやはり社会に影響を与えますよね。例えば『不機嫌な職場』は27万部超いったわけで、そうするとあの本をきっかけに、コミュニケーションを企業のテーマとして扱う動きがかなり加速化したとは思うんですね。本を書くにしても、自己満足のために自分が「本を何冊書きました」とかそんなのはどうでもいい、やっぱり自分の中にテーマ性を持っていて、今の問題に何らかの提言をすることが目的だと思っているんです。
よく言われるのが、『不機嫌な職場』が売れて、『ニワトリを殺すな』が売れて、なんでもっとピッチを上げてたくさん書かないんですかって。何冊も何冊も、続編も含めて書けばいいのにって言われるんですよ。でも僕の目的はそこにない。自分の中のエネルギーとテーマ、揺さぶりがあったことしかやりたくないので、別にそういう行動には走らないんですね。実は見えないところですけれど、マーケティングや戦略も、その領域を1つ自分の中に持っているので、実際に自分でスイーツの会社の社長をやって立ち上げて成功もさせました。
――「スイーツマジック」ですね。
河合太介氏: そうです。それも別にスイーツ屋がやりたかったわけではなくて、やっぱりもともと出会った方の志を応援したいなと思った。その時にその方はお菓子づくりの技術は持っているけれど、商売やマーケティングができないわけです。そうすると、そこは僕が補完したほうが成功すると思ったので、別にプリン屋がやりたいとか、スイーツ屋がやりたいとかすらないんですよね。
――そういう形で、お仕事、いわゆる「お金で考えたらとてもじゃないけれど」というところも、全て理念で動かれているんですね。
河合太介氏: そうですね、そこが中心ですね。
なぜ「利己的」に生きないのか
――なぜ利他的に生きようと思われたんでしょうか?
河合太介氏: 「自分の中の幸せの定義」という答えになると思うんですけれど、僕が29歳ぐらいの時に、「これからはベンチャーだ」と言われるような時代で、その時に成功されていたTSUTAYAの増田さんや、任天堂の山内さん、或いは有名なコンサルタントの方たちが講師をされるベンチャー経営塾が開いていて、そういうところで勉強させていただいて事業プランを書いたんですよ。それで、グループプランなんですけれど1等賞を取ったんです。その時にベンチャーキャピタリストの方に、「これを本気でやるんだったら投資するよ」って言っていただいたんです。
実はその時が大きな自己問答のきっかけになって、「自分にとって笑顔が出る瞬間って、幸せな瞬間って何だろうって」真剣に自問自答したんです。その時に、社長になって事業を成功させて一獲千金をすることが幸せかどうかと考えた時に、僕の中の日常の笑顔が想像できなかったんです。むしろ、別に自分の名前は出なくてもいいけれども、何か頑張っている人を応援した結果、「ありがとう、助かったよ」とか、「河合さんがいてくれて助かったよ」とか言ってもらえる日常のほうが、笑顔の自分が想像できた。僕は多分そっちのほうが日常的な中で幸せを感じる人間なんだなと、大きな自問自答の中で自分の幸せの定義をしたんですよ。
――それが29歳の時だったんですね。
河合太介氏: そうですね。その時なぜベンチャーの勉強をしたかというと、その当時コンサルティングをやっていたんですけれども、もしかしたら自分の中にほかにポテンシャルがあるんじゃないかと考えていたんです。当時はそうやってベンチャーで儲かったらいいなあというのもあって(笑)。それで実際にビジネスプランで1等賞を取って、いざ自分がそういうシチュエーションの中に追い込まれていく中で、答えが出たという感じですね。自分の幸せのカタチがそうだとすると、「コンサルティングの仕事って意外といい仕事じゃん」と思った(笑)。でも今のままだと本当の意味での、人様に役立てる「幸せ力」というのは作れないと思って、たまたま縁があったのでちょうど外資に行く機会があったんです。ここのほうが幸せ力を作る上でいいと思って。まだ30歳ぐらいだったので、力をつけられる場に行ったほうがいいなということで、転職というか企業を変わったんですね。
偶発的キャリアを地で行く人生
河合太介氏: ちょっと話は長いんですけれど、その時に日本がちょうど斜陽に入っていくんです。その時に僕は、北海道のリゾートホテルの再生・立ち上げを支援する機会に恵まれまして、そこの社長にほれて、やっぱりこの社長を成功させたいなと思ったので、1回コンサルティング会社を休職して、そこを1年間ぐらい手伝いをしに行ったんですよ。もちろん東京を拠点にしていて、北海道のほうへは出張で行きました。これが社会を客観視することができるいい機会になりました。その時に斜陽化していく日本をコンサルティングの外から見て「これはいかんな」と思ったことがあったんです。それは何かというと、日本的経営の否定だったんですよ。2000年頃って、とにかく、日本の経営の仕方は全て間違っていると、グローバルという名のもとのアメリカ型が正解だという風潮がすごく強かったんです。僕はそれは違う、何かがおかしいと思った。当時はそういう意見が聞く耳を持ってもらえない時代でした。
――その時に、河合さんはどう感じて、動かれたんですか?
河合太介氏: 僕の中で言う「あるべき成果主義」と「社会に出回っていく成果主義」のギャップ感もすごく感じていて、これはアカンなというところでたまたま本田宗一郎さんの研究をする機会に恵まれたんです。本田宗一郎さんの言われていることは、実はものすごく普遍的な話で、日本的を超えて世界にとって普遍的だし、しかもすごく日本的であると思ったんです。それで、これをもう一度ちゃんと伝えたいと思って、『ニワトリを殺すな』という本を書いたんですね。これは、より多くの人に読んでもらうために寓話という仕立て方をしたんです。当時の風潮からした時に、日本人が書くと多分浪花節って言われて売れないかもしれないと思ったので、あえて外国人の名前をペンネームにして、外国人の視点から「ここが大切なんだよ」ということを伝えたほうがいいなと思って、ケビンというペンネームにしたんです(笑)。
――するどい戦略ですね。
河合太介氏: 11万部ぐらい売れました。僕ね、キャリアって何十年後にどうなりたいというキャリアの積み方というのもあると思います。でも僕はそれだけではないと思っていて、「偶発キャリア」というんですけれど、偶然が引き起こすキャリアみたいなものもあると思っています。自分の人生をたどっていくと、別に独立しようと最初から思っていたわけではないんです。40歳の時に独立しようとか思っていたわけではないし、外資系のコンサルティングに入ってキャリアを立派にしようとかって思ったわけではなくて、その時その時に自分が一所懸命になれるものを選択していた。仕事って、全部の仕事が楽しいわけではないじゃないですか(笑)。
でも、その中でも自分がすごく情熱を傾けられるものがたまに出てくるんですよね。そのタイミングがあった時に、金銭的に実入りがいいかどうかじゃなくて、その時の自分の情熱を傾けられるものかどうかで選択して頑張ると、不思議とその領域の力がついていく。例えばさっきのホテルの支援は、純粋に支援したい気持ちでやりました。でも、その後日本に企業の再生ブームというのがやってくるんです。で、別に僕は再生コンサルティングノウハウをつけようと思ってそこをやったわけではないんです。だけどリアルにそこのお手伝いをしたので、うまくいったこともあるし、たくさんの失敗をしたこともあって、その再生ブームになった時に「誰か組織人事のコンサルティングでできるやつがいるの?」となった時に、僕はリアルに経験しているので、名前は言えないけれどもその後の大型再生案件のいろんなプロジェクトリーダーとかをやらせてもらう機会に恵まれた。
例えばこうやって一所懸命やっていると、面白いんですけれど一所懸命になる人たちが集まってきて、異業種交流会に行って名刺交換するのとは次元が違う、本当の意味でのいい人脈ができるんですよ。で、面白い人同士がまた人を紹介しあうので、多分僕はコンサルタントなのになんでこの人とつながっているの?という、ビジネスの領域を超えた、スポーツだとか芸能だとか、そういう領域までを含めたいいコミュニティーが自然とできてくれているんですね。
――それは素晴らしいですね。
河合太介氏: 別にその人脈を利用しようとも何とも思っていないんですよ。でも楽しい人たちなので、飲みに行ったりするとまた面白い人たちを連れて来てくれる。面白いのが、そこからものすごくいろんな情報をもらえるんですよ。例えばF1のレーサーの方と知り合いになります。で、F1のレースの話を色々聞いていくうちに、F1のレースって個人の能力も大切なんだけれど、あそこまで行くと実は個人の能力は紙一重だと。レースに関わるチームビルディングの能力がすごく重要という話で、「へぇー」とかって思うじゃないですか。そこで「そこで大切なことって何なの?」だとか、「なぜ失敗するの?」みたいな話を飲みながらする。それはF1の話なんだけども、僕からすれば、ビジネスに引き寄せたら「これって当てはまるな」とか思って、それがまた自分の中の発想につながっていくんですよ。これがまたコンサルティングに結果的に生きていくわけですね。
――生きていることが仕事であり、貢献でありという、素晴らしい状態に今なっているんですね。
河合太介氏: だからある意味「利他」ってすごくいいことだなと思っています。当然色々な人と会った時にこちらも何か面白いことを言わないと面白いことは出てこないので、その人を利用してやろうだとか、そんなことを考えているとろくなことがない。本当にフラットにそういうことをやっているとおのずといい人間関係ができて、いいインフォメーションが得られて、本を書く上でのヒントになったりします。
――全てにおいて「利他」という行動理念のもと仲間と集まることによって、相互作用というか、どんどんいい状況ができていくんですね。
本を読んでもらえなかったので、自分で色々な本を読むようになった
――では、本についても伺えればと思います。河合さんは幼いころから本を読んでいらっしゃいましたか?
河合太介氏: ちょっと少しずつひもといていくと、僕がまず3人兄弟の末っ子なんですよ。しかも年の離れた末っ子なんです。実家が商売をしていて、年の離れた3人目なので、絵本とかを読んでほしくて父親のところへ行ったりするじゃないですか、そうすると「自分で読め!」と言われるんですよ(笑)。文字も満足に読めるかどうかわからないぐらいなんですけれど、自分で読めと言われて「確かに自分で読まなきゃな」みたいな感じで(笑)。だから、幼いころから本が友達にはなっていった。これは自慢とかそういう話ではなくて、相当小さいころから文字が読めるようになっているんですね。
だから僕は絵本を読んでいる記憶がないんです。父親の書棚に置いてあったような戦争の実録写真集を絵本代わりに読んでました。それは、幼稚園生の僕にはすごく強いインパクトがありましたね。多分年が離れちゃっているから兄や姉が読んでいた絵本は片づけられていたと思うんですよ(笑)。でも、その中の1冊で僕がものすごく好きだったのが、今はもう有名になっている『チョコレート工場の秘密』なんですよ。多分何回も繰り返して読んだ本と言えば『チョコレート工場の秘密』です。あれはすごく好きでしたね。
仕事のヒントを与えてくれるのは、今も昔も「漫画」
河合太介氏: あと、実は僕の発想とか、物事をできるだけわかりやすく表現する方法とかの原点はどこですか、と言われると、それは漫画なんですよ。これも本当に幼稚園生が読んでいいかどうかわからないですけれど、家に兄が読んでいた漫画雑誌が置いてあるわけです。だから幼稚園生にはふさわしくないと思うのですけれど、当時だと『がきデカ』とか、『トイレット博士』だとか(笑)。当時のジャンプ、チャンピオン、マガジン、全部置いてありましたね。(笑)。でも幼稚園の時からそれも並行読みしていて、漫画がとにかく好きでした。今も実は読んでいて、年老いた母親に、「あんたね、立派なスーツも着た男が立派なカバンから何を出すのかなと見ていたら、漫画雑誌かい」と叱られました(笑)。
――河合さんが漫画から発想を得ているっていうのは意外です。
河合太介氏: いまだに、とにかく時間があったら漫画ですね。僕は漫画をお勧めしていて、漫画の表現力とか発想力とか、あのページ数の中に言いたいことを詰める能力だとか、僕は漫画家さんをすごく尊敬しているんです。幼稚園のころから、漫画から発想の仕方とかを知らないうちに学んでいますね。特に学んだのはストーリーです。僕は講演もそうなんですけれど、スライドを使って1枚1枚説明していくプレゼンテーションってやらないんですよ。ほとんどコンサルタントがやるロジックチャートみたいなものはなくて、例えば「国際協力」と言いたかったら、「国際協力」がただ単に文字サイズ50ポイントになっているものと、国際をイメージする絵か写真がはってあってあるものだけを掲げてあるだけで、それをもとにしてストーリーを話すんです。そこにまつわる物語を。
――そうすると、各人おのずとイメージができるんですね。
河合太介氏: そうなんですよ。だって、説明したって面白くないですから。それもコンサルティングにすごく生きている。これは多分漫画からの発想です。漫画が持っている、僕に与えてくれた影響力というのはとてつもなく大きくて、人生が面白くなった。
そろばんでつちかわれたイメージング力
河合太介氏: この話はちょっと脱線ですけれど、家から歩いて20メートルぐらいのところにそろばん塾があったんです。そこの待合室にたくさん漫画が置いてあった。子どもたちが多分置いていくんでしょうね、先生が買うわけではなくて。
――何かイメージができます(笑)。
河合太介氏: 幼稚園の時、そろばんをしに行くためではなくて漫画を読みたくて、そろばん塾の待合室へ行っていたんです。そしたら先生が、「漫画ばっかり読んでないで、1回そろばんもやらないか」と言ってくれて、幼稚園の時にまだ足し算も引き算も習っていないわけなんですけれど、わけもわからずそろばんをやってみたんですよ。結構面白いじゃんとやっていたらハマって、小学校3年生ぐらいには初段を取って、県で2位とかになったんです。それはそれで面白い偶然が起きていて、そろばんができて人生何か得になったかどうかというと、そろばんが有段になっていくと実はそろばんを使わないんです。そろばんを使っていると競技大会で勝てないんです。多分テレビなんかでも、ものすごい桁のやつを1発で暗算で解く人とかって出てくるじゃないですか。そろばんを使っていたら競技大会で間に合わないので、全部頭の中でやるんですよ、競技大会って。
――そうなんですか。暗算も手でやるのではなく、それをさらに飛び越して。
河合太介氏: だから僕は例えば今ここに「201」って書いてありますけれど、アラビア文字で絶対入ってこないです。数字が全部そろばんの珠に置き換わるんです。アラビア文字で数字が見えないんです、全部珠。全ての数字がそうなんです。これは多分人には見えないからそんなわけがないだろと思うだろうけれど、有段者は多分皆さん同じことを言うと思います。珠に見えると思います。これは何に役だっているかというと、ビジュアル的に頭の中に考えを組み立てていく力を作ってくれているんですね。別に僕はそれで数学が大得意になったわけでもないので、唯一すごい価値があるとすると、そこから物事を頭の中でビジュアル的に整理していったりだとか、マップを書いていく力だとか、多分それはもう1つ発想していったりしていくところで、その時の小学校までの原体験はすごく大きいと思っています。
浅田次郎で人の本質を、宮部みゆきで人の心の闇を知れ
河合太介氏: 本の話に戻すと、よくこういう仕事をしていると、講演会とか研修とか終わった後に「どんな本がお勧めですか?」と言われるんです。で、僕は困っちゃうんですね。皆さんが期待するのってビジネス本を期待するわけですよ。高名なアメリカのハーバードの先生の本だとか。実は僕、ビジネス書をほとんど読まないんです(笑)。特にノウハウ本なんかは絶対手にしない。ビジネス書としても、哲学系の、思想や考え方を示すようなものは読むけれど、ノウハウ本は読まない。大切なのはノウハウじゃないんですよ。その考え方を自分のところに引き寄せた時に、どうそれを形にするのかということが大切なんです。いずれにせよ、ビジネス書を読むかと言われると、自分の現時点での読書量の中で言うと、多分ABC分析をしていくとCの末端みたいな(笑)。で、講演会や研修会の場で「漫画」とはなかなか言えないんですよ。
――もし漫画ですって答えたら、冗談として取られてしまいそうですね。
河合太介氏: 冗談にしか取られないですよ(笑)。で、漫画の価値を伝えるためには今話したようなことをイチから伝えないといけないので難しいわけです。でも、僕が尊敬する1部上場企業の経営者で、ものすごく優秀な経営者がいて、彼はやっぱり『ワンピース』が大好き、ワンピースから学ぶものが多いと言っています。だから実は経営者の中で、漫画が大好きな人は多い。
――講演などでは、どういった本をお勧めしてるんですか?
河合太介氏: 浅田次郎さんと宮部みゆきさんの本です。特に人系、組織系をやっている人にはこのお二人の本をまず読んでくださいと言うんです。本当の意味での人の人情、利他の大切さ、その関係性を知りたかったら、ビジネス書を読むよりも浅田次郎さんの本を全部読んでくださいと言ってます。人間にとって大切なものの本質が本当によく書かれています。そして、人間の持っている暗闇の部分をこれほどわかりやすく表現している方はいないということで、宮部みゆきさん。人間の善なる部分と、善を突き通そうとするがゆえの葛藤は浅田次郎さん、僕は本当にあのお二方の小説はとにかく前々から大好きで、自分の中で、人と組織のコンサルティングをしていく上でものすごく影響力を持っている著者といえばこの二人ですね。すごく尊敬しています。
自分も「非常識社員」だったので、若い人に説教はできない
――ぜひ河合さんにご意見をお伺いしたいのが、いわゆる入社3年目で30%以上が辞めると言われています。どのように働くと世の中が良くなると思いますか?
河合太介氏: 僕も、最初入って配属されたのがコンサルティング事業部で、もうその日に「辞めてやろう」と思った人間なんですよ(笑)。僕は、基本的に人と仕事をすることだけは絶対やりたくないと思っていたんです(笑)。人が嫌いではないんですよ。多分家が商売をやっていたせいだと思うんですけれど、その反動があって対人を仕事にしたくないところがどこか自分の中にあって、僕は大学での勉強が政治関係だったので、これを僕は仕事にしたいなと思っていたんです。で、ちょうどその時代に「総合研究所」というシンクタンクブームが起きて人の採用が始まったので、「お金をもらいながら研究できる、ラッキー」みたいな、そういうはしたない考え方で研究所を選択したんですよ(笑)。
――とても意外です。
河合太介氏: 自分が好きなことを調べて、世界の経済社会の動きをレポートできると思っていたんです。でも、配属されたのはコンサルティング事業部ってカタカナの部署だし、しかも「人事コンサルティングって、人の…自分のやりたくないことのど真ん中じゃん」みたいな(笑)。絶対辞めてやるとか思って、結構ぶーたれ社員でした。で、「お前、ドラフト外だから」とか言われて。でも、上司も先輩もいい人たちで、「お前、ぶーたれないで頑張ってみろよ」みたいなことを言われて、「じゃあ、まあ頑張ってみます」みたいな感じでした。
――そんな時代があったんですか。
河合太介氏: 僕は非常識社員だったと思いますよ。だって、その金融機関の業務内容も知らなかったんです。結構人気の銀行だったらしかったんですが、そもそも銀行員になるつもりがなかったので、革靴で働いていると疲れるんですよ(笑)。疲れるなあと思ったので健康サンダルのほうがいいだろうとか思って、ある日健康サンダルをカバンに入れて持って行って、健康サンダルに履き替えて行内を歩いていたら、すごいけんまくで後ろから怒っている人がいるんですよ。振り向いてみたらすごい顔を真っ赤にして怒っているんです。でもそれが社長で、冷静に耳を傾けると健康サンダルで歩いていることを叱っている。僕からすると、「別にそこはお客さんが来るところでもないし、このほうがツボを刺激されて頭が働くし、合理的に考えるといいじゃん」と思ったんですけれど、どうもダメみたいで。
――でも、新入社員の身分で社長を怒らせることができるってすごいですよね(笑)。
河合太介氏: 一応歩き回るのはやめて、だけど仕事をしている時は健康サンダルでしたね。今は結構そういうことが許されるようになっていますけれど、23年ぐらい前のバブル期なのでそんなことは許されない時代だったんですよ。なので一応、隠れて履いていました。今は便利になりましたよね、靴を履いているように見えるようなサンダルもありますものね。当時一人暮らしをしていたので、朝は面倒くさいじゃないですか。朝早くに行って、誰もいない時間にコンビニの弁当を食べる分には迷惑かけないだろうと思って、買って食べていたら隣の部長さんがすごく怒るんですよ。で、聞いてみるとけしからんみたいな感じで(笑)。とにかく、僕には「今どきの若い人は」なんて言う資格は全くないですよね。とてもダメな人でした。でも素直なところもあって、叱られるとやめるんですよ(笑)。はむかうことはしなくて、「いけないことなんだ」と思って、一応そこの風土、文化なので止めました。
どんなキャリアにしたいか、初めから固定しないほうがいい
河合太介氏: 最近キャリア研修なんかでもよく言うことなんですけれど、どんな仕事に就きたいですかとか、この先どんなキャリアって言った瞬間、具体的な職業がすぐに問われるんです。営業とかマーケティングだとか、研究開発だとか、研究開発の中でもこういうようなのだとか。それはそれで僕は否定しない。でも例えば40代研修でやっていて、50代とか、この先自分がキャリアでどんな職業と言われたって、もう40代だし、そんな職業は今更もう見つかりませんと言うんですけれども、でも別に具体的なある特定の職業である必要はないんじゃないですか。自分にとって幸せな状態、自分が楽しいと思える状態が大切なのです。
僕は20代後半、30歳の時にたまたまそういうことを考える機会に恵まれたから自問自答して、比較的早い段階で自分の中に提起できたわけで、多分25歳前後でそれを見つけ出すってまだ難しいと思うんです。だからそう焦らずに、今のことを一所懸命やっている中で、自分にとって好ましい状態を見つければいいと思うんですよね。
ただし、一所懸命やっていないと多分見つからないですよ。一所懸命やると、「ああ、これ好きだな」とか、「やっぱりこれは好きになれない」ってなると思うんですね。僕なんかはお金をコントロールするためにコンサルティングをするのって、一所懸命やった結果としてやっぱり好きじゃないんですよ。僕は一所懸命やったけれども、それが自分には心地よくなかったんですね。一所懸命やって初めてやっぱり好きじゃないなというものがわかるし、それは新入社員の時だとかにはわからない。
――とにかく一所懸命やることで、どんな道かわからないけれどどこかにつながっていくんですね。
河合太介氏: そうです。一所懸命というのは僕の中で定義があって、自分ではなくて相手が喜んでくれる状態までやるというのが、僕の中の「一所懸命」の定義なんです。自己満足じゃなくて、相手が「いいじゃん」、「面白いね」「ありがとう」と言ってくれるところまでやると何かが見えてくると思います。それは最初に就いた「職業」というものに決してとらわれる必要はない。でもそれを突き詰めていく中で見つかる可能性があるなと思います。あまり最初から自分がこうじゃなきゃって思わないほうがいいかもしれない。もちろん最初から目的がある人はラッキーですよ。でも、世の中で最初からそれが見つかって、それが天職でずっといられる人なんて、確率論でいくとほとんどないんじゃないですかね。
ブレずに60歳まで、志のある人や組織を支援していきたい
――最後の質問です。講演、教育、著作活動も通じて、今後どんなことをやっていきたいと思いますか?
河合太介氏: 自分の決めた志のある組織、人を応援するというのは、多分僕が60歳までやりつづけることなので、これはブレないですね。本当を言うと、僕はもともと政治の勉強もしていたので、今の政治の状態にはもちろん言いたいこと、怒り、いろんなことがあるんですけれど、だからと言ってじゃあ政治家になりますかというと、多分そういう存在として生まれてきていないんだろうなと(笑)。つまりここまでのプロセスの中で、そっち関係の出会いってないんですよ。もしかしたらこの先出てきてチェンジが起きるかもしれないですけれど、現時点の中で無理をするプロセスではないなと思っているんです。
そういう意味では、「社会を幸せにしたいと思ったら、まずあなたの一番近い人を幸せにしてください。周りを幸せにすることが、あなたができる社会を幸せにすることができることです。」というマザーテレサのこの言葉が僕は好きなんですが、関わっていく人たちに、「ああ良かった、河合さんと仕事をして」と思ってもらえるような関係性を、1個1個の仕事の中で一所懸命やっていきたいですね。そして、良かったと思ってくれた人が、また今度自分がリーダーシップを取る時に少しでも次の人につなげていってくれれば、というのが僕の中の成果イメージですね。何か機会が変わった時がきたら、それはまた縁なので、その時はまた再定義するかもしれないですけれどね
(聞き手:沖中幸太郎)
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