就職は考えず進学、時代はバブルだった。
――大学は学習院の心理学科を卒業されていますが、進もうと思われた理由は何ですか?
戸梶圭太氏: 大学を受ける時にまず考えたことは、田舎には行きたくないということ。僕は実家が練馬なので、23区内がいいなと思ったのと、できれば4年間ずっと同じキャンパスがよかった。また、高校生の時から、集団の心理、社会心理学みたいなものに少し興味がありました。
――大学は、就職を念頭に選ばれる方が多いようですが。
戸梶圭太氏: 僕の場合、音楽をやると決めていたので、それはなかった。当時は、思いきりバブルの時代だったので、「フリーターの方が稼げる」のような社会風潮もあり、無職の人に対する目が、すごく温かかった(笑)。
――それから、30歳ぐらいまでは音楽活動をされていたんですね。
戸梶圭太氏: バイトをしながら曲を作ったり、ライブをやったり。僕はデモテープを作るようなスタジオ作業的なこと、つまみを動かしたりとか、トーンをつけたり、そういう細かいところを作り込んで行くのが好きでした。僕にはすごく雑なところと細かいところが同居しているんです。それは作品にも現れていると思います。
グループで作るバンドから一人で完成させられる小説へ。
――なぜ小説を書こうと思われたのですか?
戸梶圭太氏: デモテープをプロデューサーの人に持って行って、「何か歌ってみてくれないかな」と言われた時に、僕が歌えなかったこと、楽譜などもあまり書けなかったことも大きかったです。一人で完成させることができないことに、「これはちょっとイヤだな」と。
そのころは二十代後半で、ミュージシャンは二十代の前半ぐらいでデビューできないときつかったので、その後デビューしてもまず無理だと。当時はネットで発表する仕組みすらなかったので、レコード会社からデビューできなかったら、何をやっても無駄だったのです。
――今では、YouTube発みたいなこともありますね。
戸梶圭太氏: あれもうさんくさいと思います(笑)。本当は誰も見てくれないのに発表する場は一応あるという、ヘタな希望があるじゃないですか。そういう希望がなかったから、僕はあきらめられたし、「自分一人で全部完結できる小説の方がいいな」と思えました。しかも当時ネットがまだなかったので、デビューと言えば出版社の新人賞以外はなかった。今みたいに投稿サイトにアップして自己満足できなかったので、運が良かったと思います。自分の作品がお店で買えるという状況になりたいと思いました。
新潮社と角川書店、両方の最終選考に残って流れに乗る。
――『闇の楽園』でデビューされましたが、それまでどんなお気持ちで書かれていましたか?
戸梶圭太氏: 27歳ぐらいから、ワープロで小説を書き始めました。そのころ新潮と角川の新人賞に毎年応募していて、最初の時に一次選考は通り、次は共に最終選考に残ったので、この調子でいけば何とか行けるだろうと楽観的に思いました(笑)。最終的に新潮の方で賞を取って、3年かかってデビューできました。
今なら小説家になりたい人は、ネットで調べていろいろな情報を取り込んで、「自分には無理だな」となってしまうかもしれませんが、まだ当時はそういう環境でなかったことも良かったと思います。