自分にしか書けない独自のジャンルを世界に広めたい。
戸梶圭太さんは、日本のミステリー小説家として、学習院大学文学部心理学科卒業後、下流社会などユーモアを交えた独自のタッチで描き続けています。そんな戸梶さんに、今の出版界について、電子書籍と紙についてのお考えを伺いました。
今やマイノリティーがメジャーに。ゾンビの方が人間より多くなる。
――戸梶さんの作品は、いわゆる下流社会やマイナーなものに焦点を当ててこられていますね。
戸梶圭太氏: 今や、昔はマイノリティーだった人がメジャーになっているという、実に怖い社会だと思います。ネットを見ているとそれをすごく感じます。僕はデビューしてから14年くらいになるのですが、デビューした頃、「今の日本が最低だ」という雰囲気があった。「最低の時にデビューできたなら、自分はまだ良い方だな」と思ったのですが、そこが最低じゃなかった。最低なはずだけど、超低空飛行が長いというか、しぶとい。これがデフォルトになったと思いました。二極化したということでしょうね。
――マイナーなものを、なぜテーマにしようと思われたのですか?
戸梶圭太氏: 不謹慎な好奇心でしょうか。今、そのデフォルトの人たちが「俺たちに足並みをあわせろ!」のような同調圧力をかけてくるみたいな恐怖感があります。ゾンビの映画で例えると、初期の頃は人類の方が多くてゾンビはマイノリティーだったのが、シリーズが続いて行くと、逆にゾンビが多いのがデフォルトみたいになってきた。今はゾンビ映画を作って、人間よりゾンビが少なかったらたぶんうけないと思うし、人間がマイノリティーになっているのが当たり前みたいな設定の方が多いですよね。
ミュージシャンになりたくて、30歳まで音楽活動を続けた。
――戸梶さんの読書遍歴や、今に至る歩みをお伺いできればと思います。
戸梶圭太氏: 僕は幼少期からあまりブレていない人間のような気がします。小学校の頃は、漫画家になろうと思っていて、その後ミュージシャンになろうと思った。音楽は30歳近くまでやって、レコード会社のプロデューサーの人に、自分の作品を毎月持って行って聴いてもらうぐらいまでいきましたけれど、そこが限界でした。
――音楽を始められたのはいつごろですか?
戸梶圭太氏: ギターを弾き始めたのは14歳ぐらいで、曲を作るようになったのは20歳ぐらいです。僕は、人前でライブをするのは嫌いで、2、3人のユニットの中で作曲や編曲などのプロデューサーになりたかった。自分のアルバムを何枚か出し、ほかのアーティストに曲を提供するようになって、最終的にはプロデュースまでするコースが一番長く音楽業界にいられるはずだと勝手に考えていました(笑)。
英語圏に生まれたら、シットコムのコメディーのシナリオを書きたかった。
――戸梶さんは、ウェブメディアを使ったりと様々なプロジェクトをされていますね。
戸梶圭太氏: 30代の頃、自分にいろいろなことができるだろうと勘違いして痛い目にあって、今は地味に小説をやろうと思いました。一番痛い目にあったのは映画です。映画を最初から最後まで一本作ると、いろいろなことがわかります。痛い目にはあったけど、無駄ではなかった。ビジュアルから妄想して小説を書いて行くのは、その頃培ったものが大きいと思います。
日本で生まれたから小説家という立ち位置にいますが、僕が英語圏の国に生まれていたら、アメリカのシットコムと言われる30分ぐらいのコメディー番組のシナリオライターになりたかったですね。
――作中にも、ウィットの効いた英語のセリフがありますね。
戸梶圭太氏: 3、4年ぐらい前に、アメリカの輸入版のDVDにすごくはまって、日本語字幕がない場合は、英語字幕をオンにして英語で聞いていました。「自分にはわからない」と思い、最初は抵抗があったんですが、別に全部理解できなくていいだろうと思ったらすごく楽になって、それが良かったんだと思います。
――そこから、生きたシットコムのエッセンスを吸収されたのですね。
戸梶圭太氏: 映画はわかるように作られているので、英語字幕で頑張って追いかけるような感じです。でも香港映画を英語字幕で見るのは、まだ少しきついです。
就職は考えず進学、時代はバブルだった。
――大学は学習院の心理学科を卒業されていますが、進もうと思われた理由は何ですか?
戸梶圭太氏: 大学を受ける時にまず考えたことは、田舎には行きたくないということ。僕は実家が練馬なので、23区内がいいなと思ったのと、できれば4年間ずっと同じキャンパスがよかった。また、高校生の時から、集団の心理、社会心理学みたいなものに少し興味がありました。
――大学は、就職を念頭に選ばれる方が多いようですが。
戸梶圭太氏: 僕の場合、音楽をやると決めていたので、それはなかった。当時は、思いきりバブルの時代だったので、「フリーターの方が稼げる」のような社会風潮もあり、無職の人に対する目が、すごく温かかった(笑)。
――それから、30歳ぐらいまでは音楽活動をされていたんですね。
戸梶圭太氏: バイトをしながら曲を作ったり、ライブをやったり。僕はデモテープを作るようなスタジオ作業的なこと、つまみを動かしたりとか、トーンをつけたり、そういう細かいところを作り込んで行くのが好きでした。僕にはすごく雑なところと細かいところが同居しているんです。それは作品にも現れていると思います。
グループで作るバンドから一人で完成させられる小説へ。
――なぜ小説を書こうと思われたのですか?
戸梶圭太氏: デモテープをプロデューサーの人に持って行って、「何か歌ってみてくれないかな」と言われた時に、僕が歌えなかったこと、楽譜などもあまり書けなかったことも大きかったです。一人で完成させることができないことに、「これはちょっとイヤだな」と。
そのころは二十代後半で、ミュージシャンは二十代の前半ぐらいでデビューできないときつかったので、その後デビューしてもまず無理だと。当時はネットで発表する仕組みすらなかったので、レコード会社からデビューできなかったら、何をやっても無駄だったのです。
――今では、YouTube発みたいなこともありますね。
戸梶圭太氏: あれもうさんくさいと思います(笑)。本当は誰も見てくれないのに発表する場は一応あるという、ヘタな希望があるじゃないですか。そういう希望がなかったから、僕はあきらめられたし、「自分一人で全部完結できる小説の方がいいな」と思えました。しかも当時ネットがまだなかったので、デビューと言えば出版社の新人賞以外はなかった。今みたいに投稿サイトにアップして自己満足できなかったので、運が良かったと思います。自分の作品がお店で買えるという状況になりたいと思いました。
新潮社と角川書店、両方の最終選考に残って流れに乗る。
――『闇の楽園』でデビューされましたが、それまでどんなお気持ちで書かれていましたか?
戸梶圭太氏: 27歳ぐらいから、ワープロで小説を書き始めました。そのころ新潮と角川の新人賞に毎年応募していて、最初の時に一次選考は通り、次は共に最終選考に残ったので、この調子でいけば何とか行けるだろうと楽観的に思いました(笑)。最終的に新潮の方で賞を取って、3年かかってデビューできました。
今なら小説家になりたい人は、ネットで調べていろいろな情報を取り込んで、「自分には無理だな」となってしまうかもしれませんが、まだ当時はそういう環境でなかったことも良かったと思います。
長く覚えていてもらうために、次世代のファンを獲得したい。
――どんな思いで作品を書かれていますか?
戸梶圭太氏: 昔から自分のを作品を読んでくれている人はありがたいし大好きですけれど、今願っていることは、新しい世代のファンを獲得することです。
20年周期説というのがあって、例えばある映画監督が15歳の時に、何かとてつもなくインパクトのある作品に出会うとします。それから自分が作品を撮れる立場の35歳ぐらいになって、15歳の時に読んで感銘を受けた本、「あの時自分にトラウマを与えたのあの作品を撮りたい」と思うことがある。実は監督が若い時に大好きだったものを映画化したなどということも多いのです。
人間は自分が感性豊かな頃に接した作品は、20年たとうが30年たとうが、忘れない。感性の豊かな若い人にインパクトを与えて覚えていてもらうということはとても大事です。
――今までのファンも大事にしつつ、若い読者も獲得したいのですね。
戸梶圭太氏: 覚えていてもらえるかもしれないですし、その体験があったから、「自分も小説家になろう」と思う人もいるかもしれない。そういうきっかけになったらいいと思います。僕は15歳ぐらいの時に筒井康隆さんやドナルド・E・ウェストレイクを読んでいたので、20年ぐらいたって、その影響を如実に受けたようなものを書きました。
――読書や執筆はどのような行為だと思われますか?
戸梶圭太氏: 良かれ悪かれトラウマを与えたり、与えられたりする行為だと思います。
好きなことをさせてもらえた幼少時代があったからこそ、今がある。
――戸梶さんは、幼少期はどんな風にして過ごしてきたのでしょうか?
戸梶圭太氏: 親が医者なんです。といっても大きい家に住んでいたなどということはなくて、でも微妙なお金持ちの息子でした。30歳ぐらいになって、「戸梶さんってなんだかいいところの坊ちゃんっぽいところありますよね」と言われまして、学習院もそういう人たちが多かったし、やはりそうなのかなと(笑)。
――ご両親から「こういう道に進め」と言われたことはなかったのでしょうか?
戸梶圭太氏: 兄が医者になったからか、僕は特に何か言われることもなかった。でも変なプレッシャーをかけられることもなく、好きなことをやっていればよかったという土壌があったからそこ、今があるんじゃないかなと思います。
――作品をお書きになる原動力はどんなところにあるのでしょうか?
戸梶圭太氏: やはり自分のような書き手が他にいないのが大きいです。自分を1つのジャンルとして考えると自分が書かなくなれば、この手の小説は日本から消えてしまうような気もします。
時代を先駆けた電子書籍、結果は厳しいものだった。
――電子書籍のお話もさせていただきたいと思うんですが、だいぶ前に、『ザ・ビーチキーパー』を電子書籍で出されましたね。
戸梶圭太氏: 本当は紙の本で出したかったのですけど、たまたま担当していただいた方が電子書籍の会社の編集長になっておられて、「電子書籍の先駆けのようなことをこれからするので、どうですか?」とお誘いを受けました。ソニーのリーダーなどで読めるようにするということだったのですが、結果には惨敗でした。
内容は、アメリカですごく長く続いた『ベイウォッチ』というドラマのショボい日本版をやろうと思ったんです。水難監視救助隊員というのは、アメリカでは社会的に認められた立派な職業ですが、日本では季節労働者というイメージがあるようですね。
電子書籍に向いているもの、向いていないもの。
――電子書籍について、どのように感じていますか?
戸梶圭太氏: 成熟にはまだほど遠いですが、例えば「コタツで寝ながら一年で三億稼ぐ方法」など、そういう本は電子書籍にぴったりだと思いますので、まずそこから充実していけばいいのではないかなと思います。電子書籍に向いているものと向いていないものがあると思います。
――紙と、電子と、住み分けが必要なんですね。
戸梶圭太氏: 僕は、音楽は基本的にCDで買います。ダウンロード版は、あの実体のない感じが、明日になったら消えているような気がしてイヤなんです。聞けば同じなんですけど、データはデータでしかない気がします。ただ、自分がそれに慣れていないだけというのは絶対にある。何がいけないの?という人たちは既に出てきていると思うので、そういう人たちが増えれば、いや応なしにデータが当たり前になるでしょう。この流れはもう引き返せないし、やるしかないんだろうなと思います(笑)。
電子書籍がいろいろ遊べるようになったら面白い。
――戸梶さんご自身も、ウェブ、ITの力も活用されていますね。
戸梶圭太氏: 僕は最初、電子書籍って言われた時、「自分の作った音楽をテキストにつけられないんですか?」と言ったことがありました。例えばページの隅っこにボタンがあって、そのボタンを押すと自分が作った音楽が流れるといいと考えたんですけど、「できない」と言われました。タイトルが動くようになったり、色が明滅するような一行など、もうネットやブログなどでそういうものがあるので、それができて当たり前のような気がします。電子じゃないとできないことで遊べるようになったら面白いと思います。
編集者の手が入らない出版は考えられない。
――電子化していく流れの中で、出版社や編集者の役割はどんなところにあると思いますか?
戸梶圭太氏: テキストを完ぺきに仕上げるという意味では、電子になっても基本は全然変わらないので、つき合いも変わらずに続くと思います。自分だけで出版するなんていうのはあり得ないです。
――戸梶さんにとっての理想の編集者像はありますか?
戸梶圭太氏: 僕は編集者さんには、とても恵まれていると思うんです。「なぜこんなに自由に書かせてくれるの?本当にいいの?」とずっと思っているんです(笑)。
無意識の領域まで入ってこないアートは意味がない
――こちらの本は何でしょう?
戸梶圭太氏: 『とらのゆめ』(タイガー立石・著)は大好きで、すばらしい本です。現代美術館のショップで手にいれたんですけど、ずいぶん古い本で、1984年に福音館書店というところから出て、2008年にビリケン出版から復刊されたものです。絵本ですけど、とにかく1ページ1ページ、絵がシュールレアリスムの絵みたいで、「なぜ寅が緑なんだろう」という説明もないし、すばらしいです。手にとってその日は買わなかったんですが、帰宅してからどうしても気になって、次の日にまた行って、買ったんですよ。
今、小説はほとんど読まないですけど、絵の本は、神保町が近いというのもあって、美術書を売っている古本屋さんによく行きます。3軒ぐらい大きい書店があって、そこで本に出会います。
――手に取る時にどんな基準がありますか?
戸梶圭太氏: 特にないです。小説の題材は映画や絵画や写真や音楽など、違うジャンルからひっぱって来たいのです。
――休息の中からもまたアイデアが新しく生まれて来るんですね。
戸梶圭太氏: 自分に限っては、小説という表現物は残念ながら無意識の領域にまで届かない。もちろんそれでも十分感動できるんですが、自分の感性にあった音楽などは無意識の領域にまで深く潜って突き動かしてくれる。無意識のところまで入ってこないアートだとインスピレーションを与えてくれないないんです。
土着性は残しつつ、舞台はグローバルに。
――最後の質問になりますが、戸梶さんの今後の展望をお伺いできればと思います。
戸梶圭太氏: これからは日本人だけのために小説を書いていると、きつくなると思うんです。だから、日本人の小説を海外で読めるような動きが出てきてほしいなと思っています。こればかりは自分一人ではなんともできないことで、もう少し敷居が低くなって欲しいです。言語の壁をなんとかできないかなと思っています。
――ITの力が、もしかしたらそこで役に立つかもしれないですね。
戸梶圭太氏: 例えば自分の書いた日本語が、細かいニュアンスは自分で直すとして、スパッと英語にすることができないのかなと思います。でも、グローバルな市場を狙うからといって、グローバルな物語を書いてもうけないと思うんです。世界の人は、こてこての日本にこそ興味があると思う。下手にグローバル化したものには興味がないのではないかと。例えば僕がタイとか香港とかインドの映画とか見た時に、変にスマートにハリウッド化されていると、すごくつまらない。ギトギトした土着性がなくなっちゃった時点で、あんまり興味がなくなる。土着性は確かに持っておきながら、それがもうちょっと日本以外のところに広がっていけばいいと思っています。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 戸梶圭太 』