無意識の領域まで入ってこないアートは意味がない
――こちらの本は何でしょう?
戸梶圭太氏: 『とらのゆめ』(タイガー立石・著)は大好きで、すばらしい本です。現代美術館のショップで手にいれたんですけど、ずいぶん古い本で、1984年に福音館書店というところから出て、2008年にビリケン出版から復刊されたものです。絵本ですけど、とにかく1ページ1ページ、絵がシュールレアリスムの絵みたいで、「なぜ寅が緑なんだろう」という説明もないし、すばらしいです。手にとってその日は買わなかったんですが、帰宅してからどうしても気になって、次の日にまた行って、買ったんですよ。
今、小説はほとんど読まないですけど、絵の本は、神保町が近いというのもあって、美術書を売っている古本屋さんによく行きます。3軒ぐらい大きい書店があって、そこで本に出会います。
――手に取る時にどんな基準がありますか?
戸梶圭太氏: 特にないです。小説の題材は映画や絵画や写真や音楽など、違うジャンルからひっぱって来たいのです。
――休息の中からもまたアイデアが新しく生まれて来るんですね。
戸梶圭太氏: 自分に限っては、小説という表現物は残念ながら無意識の領域にまで届かない。もちろんそれでも十分感動できるんですが、自分の感性にあった音楽などは無意識の領域にまで深く潜って突き動かしてくれる。無意識のところまで入ってこないアートだとインスピレーションを与えてくれないないんです。
土着性は残しつつ、舞台はグローバルに。
――最後の質問になりますが、戸梶さんの今後の展望をお伺いできればと思います。
戸梶圭太氏: これからは日本人だけのために小説を書いていると、きつくなると思うんです。だから、日本人の小説を海外で読めるような動きが出てきてほしいなと思っています。こればかりは自分一人ではなんともできないことで、もう少し敷居が低くなって欲しいです。言語の壁をなんとかできないかなと思っています。
――ITの力が、もしかしたらそこで役に立つかもしれないですね。
戸梶圭太氏: 例えば自分の書いた日本語が、細かいニュアンスは自分で直すとして、スパッと英語にすることができないのかなと思います。でも、グローバルな市場を狙うからといって、グローバルな物語を書いてもうけないと思うんです。世界の人は、こてこての日本にこそ興味があると思う。下手にグローバル化したものには興味がないのではないかと。例えば僕がタイとか香港とかインドの映画とか見た時に、変にスマートにハリウッド化されていると、すごくつまらない。ギトギトした土着性がなくなっちゃった時点で、あんまり興味がなくなる。土着性は確かに持っておきながら、それがもうちょっと日本以外のところに広がっていけばいいと思っています。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 戸梶圭太 』