熊野純彦

Profile

1958年、神奈川県生まれ。1981年、東京大学文学部倫理学科卒業。現在、東京大学文学部教授。著書に、『レヴィナス入門』、『ヘーゲル』(以上、筑摩書房)、『レヴィナス』、『差異と隔たり』、『西洋哲学史』全2冊、『和辻哲郎』(以上、岩波書店)、『戦後思想の一断面』(ナカニシヤ出版)、『カント』、『メルロ=ポンティ』(以上、NHK出版)、『埴谷雄高』(講談社)など。訳書に、レヴィナス『全体性と無限』、レーヴィット『共同存在の現象学』、ハイデガー『存在と時間』(以上、岩波書店)、カント『純粋理性批判』、『実践理性批判』(以上、作品社)。『マルクス 資本論の思考』が9月にせりか書房より刊行予定。

Book Information

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

本を読み続けるために研究者になった


――幼少期からの読書体験などについてお聞きしていきます。熊野さんは横須賀のお生まれですね。


熊野純彦氏: 横須賀で生まれて6年程いて、それから鎌倉市の大船に高1までいました。その後、親が家を買って相模原にしばらくいました。だいたい神奈川県内ですね。幼少期は本当につまらないことしかなくて、私の年代のごく普通の子どもの環境だったと思います。
1958年の生まれで、戦争が終わって13年しか経ってない、高度成長期の直前です。そのころ、全集物ブームがあって、ある程度の余裕がある家庭では、インテリアに日本文学全集だ世界文学全集だ、百科事典とそろえていくような時代で、そういうものが身近にありました。今でもよく覚えているのは小学校の時にかなり長い百科事典が月に1冊ずつ配本されていて、それを全部読んだ記憶です。端から端までというより、新聞のようにぱらぱらとめくる感じで読みました。小学校の5、6年のころはクイズ番組に出たらきっと強かったろうなという気がします(笑)。それが自覚している最初のころの活字との接し方です。

――哲学に関する本を読むことはいつごろ始められたのでしょうか?


熊野純彦氏: 中学に入ってすぐ、文庫、新書を買い始めて、親のお仕着せとかではないものを読み始めて、小説が多かったのですが、比較的早い時期に哲学書に近いものにも親しんだとは思います。ある種の経験則なのですけども、子どもに絵本とか、子ども用の本を与えても、そのこと自体は本好きの子どもを作らない。分かれ目は、中学で少し小遣いが増えた時に、自分のお金で本を買い始めるかどうかだと思います。乏しい小遣いをやりくりして買った本は大切です。ただ、全くの無駄話ですけど、私が昔買った本は、飼っていた猫におしっこをかけられて、全部捨てざるを得なかった。猫のおしっこはどうしても取れないですね(笑)。

――研究者になろうと思われたきっかけはどういったことでしたか?


熊野純彦氏: 私の時代では、東京大学は、文学部に入ってくる半数前後は、とりあえず大学院志望だったと思います。最近では大学院志望は10パーセントを切るんです。私なんかの感覚だと、東大文学部に来て、特に研究者になりたくもないっていうのが、よくわからない。私は、何の領域であれ研究者になりたいという気持ちがありました。必要以上に金もうけをしようとも思わなかったし、はっきり言えば世の中の役に立とうとも全く思わなかった。だいたい文学部の教授はそうですけど、本に囲まれて、本と一緒に暮らす一生を送りたいと思ったのが、研究者を漠然と志望したきっかけです。20歳前から廣松渉先生に相談して、逃げ場がなくなったところもありました。先生は私が就職するって言ったら多分怒ったでしょうね。
学生って、サラリーマンってどういうものか誰もわかってないと思います。大月隆寛さんの言葉だけれど、「いつか行かなきゃいけない憂うつなところ」みたいなイメージしかない。よくわからないサラリーマンに皆よくなるなっていうところがあって、「私には無理だ」と思った。朝も起きられないし、本を読む時間が少なくなるのは耐えられない。思いつく選択肢は大学に残ることでした。

「趣味の読書」に一抹の不安


――熊野さんは、普段どのような時に本を読んでいますか?


熊野純彦氏: 家にいる時は必ず何かの本を手にしています。ただ、同時に必ずテレビもついている。本当にちゃんとした仕事の時は自分の勉強部屋に行きます。夜もテレビもつけながら何かの本は読んでいます。今は藤沢に住んでいて、東海道線に50分乗るので、それは良い読書の時間ですね。ありふれた話だけれど、私は10分電車に乗る時も、活字を持ってないとだめです。基本、常に活字は携えています。

――まさに「本と一緒に暮らす」生活をされているのですね。


熊野純彦氏: 私は研究者としての店じまいした後に楽しみを残しています。大学の教師が終わりとなったら、専門の本なんて読みません。非常に愛着のある哲学書の古典はありますが、義務として読むような研究書なんて読んでたまるかと思います。
源氏物語』とプルーストの原文を繰り返し読みたいとか、色々計画しています。源氏は古典集成の簡単なものを1回読んで非常に感動しまして、プルーストは翻訳で読んで、部分的にフランス語のテキストで読んだけど、繰り返し原文で読みたいと思っています。それから、うんと若い時、ロシア文学全集を古本屋で買ったことがあって、それは老後に読むために手をつけていません。ただ、私は今年55歳で、保険の組合からパンフレットが来て、そこに「楽しい老後を過ごすためには趣味を作りましょう」なんてばかなことが書いてあるのですが、「ただし目を使う趣味はだめです」と書いてある。いずれ目はだめになりますから、目を使う以外の趣味を作りましょうと。だから、計画がガラガラと崩れてしまう。
老後の趣味として、本当の意味での読書を予定していたんですけど、もともと目は悪いのでどうなるかわかりません。私は自分の仕事ではおそらく今後もデジタル化した本を一切使わないと思っていますが、目が悪くなった時に、いくらでも文字が拡大できるから、良いツールかなとも思い始めました。

著書一覧『 熊野純彦

この著者のタグ: 『大学教授』 『哲学』 『考え方』 『研究』 『研究者』 『趣味』

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
著者インタビュー一覧へ戻る 著者インタビューのリクエストはこちらから
Prev Next
利用する(会員登録) すべての本・検索
ページトップに戻る