言論は、終わりなき「発見の旅」である
エコノミストの浜矩子さんは、国際経済の専門家として、EUの通貨統合に伴う危険性を早くから警告するなど、鋭い分析で高い評価を得ました。また、日本の経済状況、政策についての発言も常に注目され、最近では「アベノミクス」についての論評が話題になっています。批判を恐れず、少数者となることもいとわない「ブレない言論人」の姿勢のルーツはどこにあるのか、お話を伺いました。
常に「荒野で叫ぶ声」を
――早速ですが、普段のお仕事についてお聞かせください。
浜矩子氏: 勤務しているのが大学ですから、優先するのは同志社大学の教育に絡んだ仕事です。授業をやったり、ゼミに出て学位論文の指導をしたり、また会議などの実務もあって、週のうち2日ないし3日、京都に通勤しています。それ以外の時間でやっていることは、まずもろもろの執筆活動です。本の執筆があり、定期的なコラムの執筆があり、そのほか単発の依頼を受けてやっています。それと講演を全国津々浦々で、ご依頼に応じて時間の調整がうまくいけばお受けしています。またテレビとかラジオとか雑誌、新聞のインタビューの対応もあります。あと一つ、色々な機関が諮問あるいは評価のために組成している委員会のメンバーにもなっています。
――ご多忙だと思いますが、それぞれの仕事を頭の中でどう切り替えているのでしょうか?
浜矩子氏: 切り替えということはあまりしません。エコノミストとして常に考えていること、疑問に思っていることについて語ったり書いたりすることは共通しています。連続性の中で、外に向かって発言する形態が講義や講演やインタビュー、執筆になりますが、出てくる元は同じです。
――発言者としての一貫した想いのようなものはありますか?
浜矩子氏: エコノミストとしての原点を一言で言えば、「荒野で叫ぶ声」です。聖書の中に出てくる言葉ですけれども、要するにインサイダー的な位置ではなく、外から見て、リーマンショックにしてもアベノミクスにしても、今の状況に対して警鐘を発するというのが基本的なスタンスです。社会科学の世界は基本的にそういう批判の学であり、警鐘を鳴らすための学問領域で、ことのほか経済の世界はそうです。それは忘れてはいけないことですね。
私は、エコノミストと言われるために備わるべき3つの条件があると思っています。1に独善的であること、2に懐疑的であること、そして3に執念深いことです。独善的というのは、自分はいつも正しいと思っていること。懐疑的というのはほかの人たちは皆間違っていると思っていること。執念深いというのは絶対に敗北を認めないということ。そういう心意気を持っていないとなかなか「荒野で叫ぶ声」が有効に機能しない。ただ、この3つだけでは、ただ単に性格の悪い人間というだけですので、真理を探究するための燃え上がるような情熱とか、真理を前にした時の限りなき謙虚さとか、3大条件が必要条件であるとすれば、十分条件もないといけないだろうと思います。