表面的な言葉には、堂々物申す
――三菱総合研究所に入社され、英国駐在員として再びロンドンに滞在されましたが、執筆をされるようになったのもその頃でしょうか。
浜矩子氏: ロンドンにいる頃、ジャパンタイムスにコラムを書くことを頼まれるようになって、一方でイギリスの日本人コミュニティー新聞の『英国ニュースダイジェスト』に日本語で定期コラムを頼まれるようになりました。イギリス人、ヨーロッパ人のビジネス社会、あるいはメディアに対して、日本のことを話したり書いたりする一方、ヨーロッパおよびイギリスの日本人のコミュニティーおよび日本に向けて、ヨーロッパの欧州統合の動きについて話をしたり、書いたりということが駐在している間に多くなってきて、それを見てくださった人たちから声が掛かってくるようになったという感じです。
――EU、特に通貨統合についての発言は、大きく注目されることになりましたね。
浜矩子氏: 欧州統合の構想については、それこそ「荒野で叫ぶ声」的にものを言う人が、日本人はもとよりヨーロッパ人にもあまりいなかったということがあると思います。イギリス人は大陸欧州と一線を画したいというイギリス人的な観点からの反対はありましたけど、あまり包括的に批判的なことを言う人はいなかった。現象的に、状況はこうなっていますという説明をする人はいても、なぜこうなったのか、どういうカラクリがあるのか、どういう力学が動いているのか、そしてどういう問題があるのかという、謎のコアのところに踏み込んでは語られない。そこに踏み込んだことで、注目されたのかなと思っています。
今で言うと、いわゆるアベノミクスの「異次元金融緩和」なるものについてもそうです。言葉としてはあふれ返っているけれども、どこが何に対してどう異次元なのか、なぜそういうことをやるのかっていうところが解明されないと気持ち悪くて、そもそもその言葉を使う気にならない。現象的な説明で言葉が独り歩きしちゃう傾向があって、今そういう傾向は強まっているかもしれません。TwitterとかFacebookが出てきたこともありますし、従来型のメディアも短い言葉で、キャッチーな言葉でものを言うことを旨として、それを人にも求める。どんどん謎解きがなくなっていると感じます。
電子書籍は、便利さとともに「情感」を
――電子書籍についても伺っていきます。浜さんは今、iPadをお持ちですね。
浜矩子氏: iPadは、補助道具という感じです。原稿をパソコンで書いていて、ネットで調べる必要が出てきた時に、iPadを横目で見ながら書きます。大きな原稿書きにはあんまり向いていないと思いますけれども、パソコンを開いて立ち上がるのを待つんじゃなくて、パッと思ったことを書いていく。正面に身構えて本を書くと緊張してしまうので、行き詰まっている時にちょいちょいと書いていける部分は、使えるなあと思っています。タクシーの中とか、暗かったり狭かったりしても、それなりにいけますしね。
――電子書籍を読まれることはありますか?
浜矩子氏: 本格的にはまだあまり使っていないですが、ものすごい分量のものがサッとダウンロードできて、iPadだと非常に見やすいし、検索もできますし便利ですね。『新・国富論』っていう本を書いていた時は、元のアダム・スミスの『国富論』をダウンロードして横目で見ながら書きました。私は昔から荷物がすごく重いんですけど、必要な資料を紙版で全部持ち歩いたら、ヒマラヤ登山みたいな荷物になってしまいそうな気がします。
――電子書籍について、物足りない点や、要望はありますか?
浜矩子氏: ソフトという意味ではまだ中身が薄いです。まだ導入段階だからっていうことがあるでしょう。それから出版社も気を付ける必要があると思うのは、人間の美的センス、感受性というようなものが電子化することによって退化する恐れがある。本の装丁とかも、随分簡易、簡便になって、装丁を競うようなところも低下してきています。そういうところをどうカバーしていくかということについて、突っ込みは必要になってくるだろうなっていう気はします。
古い本は、その時代の雰囲気をにじませています。それが人間の感受性を触発して、高い水準に保っていく効果を発揮している。『国富論』の初版本みたいなものがすぐに読める利便性という意味では電子書籍は素晴らしいですが、時代感が伝わってくるものではない。われわれの世代はまだ両方知っているからいいんですけども、電子ばかりになったら、そもそも重い本が持てないとかという感じになったりするかもしれません。色々な意味で、人類の心身の退化を促進するような役割を果たしてしまうことをいかに避けるか。本を扱う人たちは、人間の知性と情感と共に生きているわけですから、その辺をどう確保していくかということを工夫していただきたいと思います。