ビートルズで「時代の変化」を目撃
――浜さんの言論活動のルーツに迫ってみたいと思いますが、幼少期はどういったお子さんでしたか?
浜矩子氏: 小さい頃から、ドラマと謎解きが好きでした。本をたくさん読んで、お芝居を観るのも好きでしたが、物語性の中に謎解きという要素が含まれているものが特に好きでした。経済学の世界も明らかに経済活動に関する謎解きの世界です。謎解きが好きというところと、経済学のエリアで仕事をすることには、共通点があるだろうと思います。ちなみに、経済を勉強するということを決断したのは、中学校の2年生の時でした。
――経済学に興味をもたれたきっかけはどういったことでしたか?
浜矩子氏: 非常に具体的なきっかけがありました。私は8歳の時から12歳の時までイギリスに住んでいたのですが、日本に帰ってきて1年ぐらいした頃、英ポンドの大幅な切り下げがありました。当時は固定為替相場制度ですから固定相場の切り下げです。それを社会科の先生が時事問題として取り上げて、英国が為替の切り下げをどういう意図でやって、その結果はどうなるのかと、いわば謎解きをしてくれた。その話が極上のミステリーの謎解きの場面のような感じで、経済の世界がこういう謎解きに満ちた世界ならば、その全貌を把握したいと思いました。その気持ちをずっと持っていたので、大学受験の時に、経済学を一番しっかり勉強できる大学に行きたいということで、何ら迷うこともなく、一橋大学の経済学部に行く決断をしました。
――イギリス滞在時は、ビートルズの登場がちょうど重なったそうですね。
浜矩子氏: まさにデビューの時代です。アメリカにはエルビスやモータウン・サウンドがあって、イギリスのポップスの世界はアメリカの物まね状態だったところに、独自のサウンドが突如として出てきて、あっという間に世界を席巻した。それはもう大騒ぎでした。イギリスでティーンエージャーになりかけている子どもとして、リバプール・サウンド、マージー・ビートというものが芽生えていくのを目の当たりにして、すごく世の中が変わった感じがしました。ビートルズの出現に次いでマリー・クワントとか、ツイッギーが出てきて、音楽においてもファッションにおいても、ポップアート的なものもロンドンが中心地になった感じでした。
――イギリスで幼少期を過ごされたことで、その後どのような影響があったのでしょうか?
浜矩子氏: もともと私が持っていた性格と、その時のロンドンの感じが非常によく合ったんじゃないのかと思います。既存の秩序とは違うものがうごめき出す状態の中で、何に対しても懐疑的にものを見ること。イギリスの文化はそれ以前からそういうところがありますけれども、その上にさらに新しいうねりが出てくる中で、一段と何でも突っ込んでみようとか、追求してみようという空気が強かったことは間違いないと思います。それに加えて、イギリスはもともと海洋国、言い換えれば海賊国ですから、外に向かっては非常にオープンですけど、でもやっぱり当時は日本人が本当に一握りしかいないという時代でしたから、異分子的なものとしてそれなりに頑張りを要したところもあって、反骨というか、そういうものを促す環境だったとも思います。
いつも「異分子」の感覚があった
浜矩子氏: 日本に帰ってきてからは、閉鎖的な中で、また最初からやり直さなければいけなかった。1年間ぐらいは、闘争の日々でした。地元の区立の中学校に入りましたから、同じ小学校から上がってきた人が圧倒的に多い。ただでさえ転校生はつらい思いをしますけど、海外からというと、ものすごい違和感のある存在だったんですね。そこを克服というか、違和感を維持しながらしかるべき位置付けを得ていくのは大変でした。
イギリスの学校では成績が良かったんですけど、教育のシステムも求められるものも違うから、帰って来ていきなりできない子になりました。イギリスに行った時、超異分子からスタートしましたが、日本でも「またこれか」っていう感じもありました。そのまましぼんでいくのも納得がいかなかった。後景に退いて目立たないようにしていくのはいやだったので、正面突破でいくしかなかった。正面突破というのは、つまり勉強で勝つということです。父親は典型的なサラリーマンですから、私が闘争の日々を送っていることは全然知らなくて、後から聞いたという感じですが、母はよく分かっていて、全面的にサポートしてくれました。そのうちにまたカムバックを果たすことができたことには、母の存在がすごく大きかったです。
――イギリス、日本の両国での「異分子」の感覚が、人格形成に大きな影響を与えたのですね。
浜矩子氏: 高校に入ると、また異分子でした。私は都立戸山高校に入ったんですけど、あそこはもともと旧制府立四中というスパルタ男子校で、その伝統を受け継いで、当時は女子が4分の1ぐらいしかいない学校でした。先生たちも「何でこの学校に女子が入ってくるんだ」というような感じのスタンスの人が多かった。だから、女子だって人類だということを分からせるための頑張りを要したわけです。「こいつらは並以下の存在だけど、まあ今のシステムでは受け入れざるを得ないからいるんだ」みたいな取り扱いに甘んじることには、到底納得できないので、折あれば目立つように頑張るという感じです。大学も、一橋の経済学部は私が入った頃、250人ぐらい学生がいて女子は3人でした。今はさすがに、もうちょっと多いみたいですけど、まだ経済学部は相対的に女子比率が低いようです。「私だけ」という状況の連続で今日に至っている感じはあります。
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