小暮真久

Profile

1972年生まれ、東京都出身。 早稲田大学理工学部機械工学科卒業、スインバン工科大学工学修士号取得。 マッキンゼー・アンド・カンパニー東京支社で ヘルスケア、メディア、小売流通、製造業など幅広い業界の組織改革・オペレーション改善・営業戦略などのプロジェクトに従事。 同社米ニュージャージー支社勤務を経て、2005年、松竹株式会社入社、事業開発を担当。 2007年にNPO法人TABLE FOR TWO Internationalを創設。 2011年にはスイスのシュワブ財団が表彰する「アジアを代表する社会起業家」5名の1人に選ばれた。

Book Information

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電子でも紙でもこだわらない。
大切なのは活動を「知ってもらう」こと。



小暮真久さんは日本の社会起業家であり、NPO法人TABLE FOR TWO Internationalの活動を通じて、先進国と開発途上国間における食料不均衡問題の同時解決を目指しています。社会起業に関する著作もあり、『「20円」で世界をつなぐ仕事』『20代からはじめる社会貢献: 400社が支援した「社会起業」とは』『社会をよくしてお金も稼げるしくみのつくりかた』などの書籍を通じて、社会貢献、社会起業に関する情報も発信されています。小暮さんに、NPO法人を設立するきっかけや活動、読書や幼少期に関することなどをお伺いしました。

TABLE FOR TWO自体の活動プラス、社会貢献の仕組みを背負った商品を開発中。


――早速、TABLE FOR TWO(TFT) の活動も含めて、お話をお伺いしたいと思います。


小暮真久氏: 今ここで飲んでいただいているこのお水もOisixという会社から出している商品で、TABLE FOR TWO専用に作ってもらったものです。この水も、買っていただくと、支援している子どもたちの学校給食につながるという仕組みが組み込まれている商品の1つです。最初は社員食堂から始まったTFTプログラムですが、こういう商品や仕組みが少しずつ増えてきています。

TABLE FOR TWOの使命は、地球上の「食のねじれ」を解消すること。


――TABLE FOR TWOの取り組みの内容を、詳しく教えていただけますか?


小暮真久氏: 最終的に目指すゴールは、地球上で「食のねじれ」と言いますか、食の不均衡によって起きている飢餓と肥満を同時に解決することです。なぜ同時かと言うと、世界中で食料の不平等、配分の不平等が起きてしまっていて、貧困に苦しむ人々は10億人にものぼります。一方で、肥満や生活習慣病に悩む人々も10億人います。TABLE FOR TWOは、先進国では少し食べる量を抑え、その余剰分を食料が足りない国へと回るようにするという活動です。でも、理念を唱えているだけでは、問題は解決しないので、まずは普段の僕らの食事に関して、運動をしていこうと考えました

――具体的にはどのような運動を開始されたのですか?


小暮真久氏: 最初は社員食堂の食事を、腹八分目ぐらいのご飯の量にして、その少し抑えた分との差額を20円でアフリカの子どもたちに栄養豊富な給食が届くようなシステムにしました。先進国の人とアフリカの子どもが、2人で食事をしているようなイメージから、「2人の食卓(TABLE FOR TWO)」 という名前をつけて活動しています。食堂でそのプログラムをやっていただくことを中心に、560もの団体が参加しています。この運動は日本で始まりましたが、今や10カ国で活動が展開されています。



真久という名前には「世界の平和に貢献できるように」という願いが込められた。


――ご自身でこのお仕事を天職と仰っていたと思いますが、今日はその天職に至るまでの歩みを、読書と絡めまして幼少期の頃からさかのぼってお伺いできればと思います。


小暮真久氏: 子どもの頃から「社会貢献をしたい」という正義心があったわけではありませんが、僕の「真久」という名前の由来は、「世界の平和に貢献できるように」という想いからだったと聞いています。子どもの頃は普通に遊んでいる子で、読書も小学校の頃は週刊少年ジャンプや、あらゆる漫画を読んでいました。漫画以外の本といえば、『日本の歴史』などは読んでいましたが、読書少年だったかというと、決してそうではなかったと思います。

――早稲田大学理工学部に進まれていますが、選ばれた理由はどのようなものでしたか?


小暮真久氏: 大学の学問の中で、自分が勉強したい学問があまりなかったのです。僕はどちらかというと理数系の方が好きで得意だったので、なんとなく工学部に行こうと思いました。大学の最初の1年ぐらいは何をしていいのかよく分からず、海外へバックパックの旅をし始めたんです。そうしたら、旅にすごくはまって、色々な国を旅行して、同じようなバックパッカーの人たちと泊まったりするのが面白くなりました。スロバキアで2ヶ月半ぐらい、色々な国から来ている人たちと一緒に寮生活をしたこともありました。その頃から卒業したら海外で学びたいと思うようになって、選んだテーマというのが人工心臓というユニバーサルなテーマだった。それで担当教授にお願いして、オーストラリア留学への道が開けたという感じです。

旅をするうちに、自分の好きなことが見えてきた。


――最初の旅はどのようなところに行かれましたか?


小暮真久氏: 韓国、東南アジア、シンガポールやマレーシアなどアジア中心の旅で、その後はドイツや東欧です。アメリカにも2、3回行きました。

――東欧を選ばれたのはなぜでしょうか?


小暮真久氏: たまたま応募していたプログラムで僕が補欠で、誰かが辞退すれば行けるという状況でした。当時は東欧の情勢が悪く、主席合格の人が危ないという理由で辞退したのです。「どうします?」と聞かれましたが、僕は別に気にならなかったし、当時していた服装などを考えると、「襲われることもないだろう」と思っていました(笑)。

――怖くはありませんでしたか?


小暮真久氏: 夜に酒場へ行くと、アジア人を初めて見たという人から、ちょっかいを出されたりしたこともあります。町を歩いていても、確かにアジア人は自分しかいないという状況でした。

ビジネスを勉強したくてマッキンゼーに入社。


――その最初の一歩が、今のお仕事につながっている気がしますが、海外での様々な経験を通じて、自分で変わったなと思う点はありますか?


小暮真久氏: 海外の、色々なバックグラウンドを持つ人と交流することがすごく面白かったので、自分に合っていると感じました。「国内だけでなく海外とつながる仕事がしたい」と漠然と思い始めていたのかもしれません。そういう気持ちも少しはありましたが、新卒で就職したマッキンゼーを選んだ時は、それよりも「ビジネスを勉強したい」という気持ち強かった気がします。

――将来のビジョンなどはその当時からお持ちでしたか?


小暮真久氏: 当時は人工心臓の研究をしていて、「人のためになるものは、結局ビジネスにしないと、本当に必要にしている人に届かない」という考えがあったために、まずはビジネスを学びたいと思いました。

様々な出会いがあり、TFTの活動へいざなわれる。


――マッキンゼーでのコンサルティング経験が、今のお仕事にも生かされていると思いますが、TFTを実際に始められるまで、色々な節目というのがあったかと思いますが。


小暮真久氏: マッキンゼーを辞めて、松竹という会社で仕事をしていましたが、仕事での達成感や充実感は得られず「何かを変えよう」と考えていました。「自分は本当に何が好きなんだろう」と色々と考えた時に、「何か新しいものを作っていく」「人から感謝されること」「グローバル」といういくつかの要素が見えてきたんです。そのエッセンスを凝縮した仕事とはなんだろうと考えていた時に、マッキンゼーのニューヨーク支社にいた頃に、ソーシャルビジネスやNPOで活躍する同僚がいたことを思い出しました。その時に、自分のやりたい仕事の方向がおぼろげながら見え始めて、その後、マッキンゼーの出身のビル・ドレイトンという人の論文を読んで、「これが本当に自分のやりたいことだ」と確信しました。

――その後仕事を始めるにあたって、苦労や、悩んだことはありませんでしたか?


小暮真久氏: 日本ではそういう団体はあっても、ビジネスとしてやっているところはなかったので、どうやって仕事を始めたらいいのだろうと悩みました。その時にマッキンゼーの先輩の、近藤正晃ジェームスという人から「TABLE FOR TWO」の原案の話を聞かされて、「やりたい」という話になりました。それが2007年ぐらいのことです。その際、99%は心が決まっていたものの、残り1%に迷いがあった。その時に、アメリカの経済学者ジェフリー・サックス氏に会える機会があり、彼のビジョンや彼が持っている世界観に感動しました。彼も「TABLE FOR TWO」はすごくよいアイデアだと言ってくれましたので、やるしかないと決心することができました。それで35歳の時に会社に辞表を出して、今に至ります。本当にゼロベースからの立ち上げだったので、大変でした。

――その時のお気持ちはどのようなものでしたか?


小暮真久氏: 時が経っているので、あまり覚えていないところもありますが、不安というものはそれほどなかったような気がします。その当時の仕事よりも、もっと自分にあったこと、やりたいと思うことへ向かって、早く飛び出していきたいという気持ちの方が強くて、負の感情というのはあまりありませんでした。

仕事は自分の思いを実現するためのもの。


――仕事に対して、どのようなお気持ちで取り組まれていますか?


小暮真久氏: 自分が生まれてきた理由や、使命を達成するための術だと思っています。僕にとって仕事とはお金、生活費を稼ぐというものではなく、「自分が本当に思っていることを実現するもの」だと感じています。自分の名前の由来になっている「世のため人のため」で、人からも感謝されるということをする、というその思いが強いです。

――ご本を執筆されるきっかけはどのようなものでしたか?


小暮真久氏: TFTを立ち上げた当時は、赤字でした。参加団体数も数十団体で、まだまだこれから頑張らなければという時期には、営業活動の一環として講演会を行ったりして、町民会館のようなところにもオファーがあれば行きました。数十名くらいの規模の講演会をやっていた時に、編集の方が「本を書きませんか?」と声をかけてくださいました。でも、その時点では本を書くような団体ではないし、実績もまだそれほど世間に高々と言えるほどのものでもなかったので、ピンときませんでした。でも話を聞いていくうちに、編集の方は、TFTがとっているアプローチにすごく感銘を受けてくださって、僕のTFTを始めるまでの経歴のチェンジの部分が面白いと感じてくれたということが分かりました。「今、世の中に社会起業家が出している本はあるけれど、人生激動系が多いから、それではセクター自体が広がっていかない。一般の人でも体系化できるといったように、もう少しシステムチックに伝えられるべきであって、それができるのは小暮さんしかいないと思う。そういう視点で書きませんか?」というオファーだったんです。「本を使って社会起業家を増やし、TFTの認知向上にもつながるような、2つの目的で本を書きませんか?」と仰ってくれて、僕はこの人となら一緒に仕事をしてみたいと思いました。

――編集の方の言葉が、小暮さんを後押しした感じですね。


小暮真久氏: 社会起業家本というよりも、ビジネス本としての内容にしようということで企画を通しました。TFTも仕組みや理念がいいというだけではダメで、色々なところで広がり、その上で寄付を作っていくことが重要です。そういった意味では本も全く同じだと思っています。最初の『「20円」で世界をつなぐ仕事』という本は、大切に読んでくれている人がすごく多く、あの本がきっかけでTFTプログラム参加に至った団体もたくさんありますので、今から思うと、「事を成し遂げてくれた本だな」という気がしています。その後数冊出させていただいていますが、本に助けられたということに関しては、最初の本については特に強く感じています。

電子書籍でも思いや理念が伝わるのであれば、こだわりはない。


――今、ユーザーが紙の本を電子化して、デバイスで読むという風潮がありますが、書き手としてお気持ちをお聞かせください。


小暮真久氏: 自分が出した本に関しては、売れることよりも、知ってほしいという意味がすごく強い。僕たちは数名で運営している団体なので、知ってほしいと思いますが、人海戦術だと限界があるわけで、だからこそ本というのはすごく役に立ちます。実際に紙でも電子書籍でも、僕らの思いや理念が伝わるのであれば、そこにこだわりはありません。ただ、講演会に行くと、紙の本を大事そうに持って来てくれて、「サインをしてください」と言われることもあるので、電子書籍はサインができないところだけが少し残念です。サインで読者と著者とがつながる感覚が持てるから、本ごとに著者サインができる機能があればいいと思います。あと、少し怖い部分もあるかもしれませんが、僕は買ってくれた人とダイアログを持ちたいなと思っています。電子書籍で読者とつながって、読んだ感想をいただいたり、それに対してレスポンスしたりしたいなと考えています。よく、「TFTに参加したいのですが、どうすればいいんですか?」という質問がきます。そういう時に、ポンポンポンとキャッチボールができるような機能が電子書籍にあったら、面白いなと思います。

――それは今のやっている活動と本ならではのことですね。


小暮真久氏: 朝活系の読書会を、僕の『「20円」で世界をつなぐ仕事』でやって、「こんな意見が出ました」といった、事後報告をいただくんです。「それならば僕を呼んでくれよ!」というぐらい、色々と面白い意見が出ている。その電子書籍版のような、著者と読者だけではなく、読者間でもやりとりが簡単にできるような機能があると、それも面白いと思います。Facebookでもできるのですが、せっかくKindleを持っているのだったら、そういうのもありかなと思います。ブックサークルのようなものができると、電子書籍ならではの面白さが出ていいのではないでしょうか。

Kindleは寝かしつけの時のかっこうの読書ツール。


――Kindleをお持ちだそうですが、よく使われていますか?


小暮真久氏: 電子書籍はよく使っています。ただまじめな本は1冊も入っておらず、脳休め用のものばかりです。子どもが0歳と2歳で、すぐに寝ないので、アイドルタイムが多いんです。子どもを抱いて片手で見られますし、寝かしつけの時は電気がつけられないから、電子書籍はとても便利です。

――そういう利用方法は初めてお聞きしました。


小暮真久氏: 僕は紙ざわりが好きなので、紙の本を読めればいいのですが、今はそんな時間がありません。昔はお風呂で読むのが好きで、結構しわくちゃにしてしまいました(笑)。でも今は、お風呂の時も子ども2人と一緒に入るため、長風呂はできないので、本を読む時間がなく、寝かしつける時にKindleで読むという感じです。あとは、電車の移動時間やアポ先に行く時に読みます。Kindleは時間がないという人には最高だと思います。今は、時代小説をよく読んでいます。山本一力さんなどのように、すっと入れるものは読みやすくていいです。でも、今日持ってきたのはこの山崎亮さんの本です。

――『ソーシャルデザイン・アトラス』ですね。


小暮真久氏: 最近読んだ中では、この本がすごくよかったです。この本では、デザインの力で社会を変えていく様々な事例を探し出して、そこに解説を付けている。この本の内容は、脳への刺激になりますし、何か自分たちで新規事業を考えなければいけない時に、アイデアとして参考になるのではないかと思います。

育児をするようになって、一般の人の生活に、より「近づけた」。


――お仕事、育児もされていますが、普段はどのように過ごされていますか?


小暮真久氏: 今は、育児に割く時間の比率がとても高いです。今日も保育園に送っていったら、「今日お父さんラジオ出演ですよね?」と言われました。夕方から盆踊りがあるんですが、その時間に、電話会議が入っているからどうしようなど、そういうことを考えたりもしています。育児を通じて、仕事ではなく生活の時間がすごく増えているので、気付くことも変わってきたような気もします。「こういう社会サービスがあったら便利だな」と思うようになったり、そういうことに理解がある人の言葉が自然と入ってきたりします。

――気がついてよかったなと思われたのは、どのようなことでしょうか?


小暮真久氏: この間ネットを見ていたら、DeNAの社長の南場さんの講演のスピーチが出ていて、南場さんは鉄の女性のような印象があったのですが、そのスピーチには彼女のヒューマンなところが表れていました。DeNAの社員でお子さんを持ちたいという人には、赤字の頃から子どもが生まれた時には育児補助のようなものを、彼女のポケットマネーで出していたそうです。「私は子どもがいなかったけれど、会社でそういうことは大いに奨励したい」ということを仰っていました。「これからの経営者は、従業員の満足度を上げないといけない」と感じました。バットカンパニー=ブラック企業は絶対に生存できない。これからは従業員の福利厚生や子育てとの両立のようなものが一番重要になると、ハーバードの教授が言っていたのを聞いて納得しました。そういう経営モデルを知っておくのも、ネタとしてもよかったりします。

――社会の仕組みは徐々に変わりつつあるのですね。


小暮真久氏: コロコロと小石が転がっている音は聞こえますが、まだ大きなエネルギーにはなっていない。DeNAの南場さんは経営者の中では理解がある方で、マイノリティーだと思います。うねりにしていくには、まだまだ足りないと感じています。

――お話をお伺いしていると、必ずしも社会的な幸福と利益の追求は相反するものではないのだなと感じますが。


小暮真久氏: 僕はそう思っていますが、実績で残している企業は少ないし、マイノリティーなので、まだ皆さんが信じていないということだと思います。直近の本を書かせていただいた時にもそういう思いがありました。例えばユニクロの難民への衣料支援など、そういうことをやりたくて会社に入った若い人がたくさんいますし、ユニクロはそういう活動をしつつ利益も出しています。あれは慈善行為ではなく、1つのマーケティング活動なのだと明確にうたっています。あそこまでハッキリ言うのもすがすがしいなと思う。そういう企業があるというのをもっと知ってほしいと思います。

チームとして一緒にいいものを出していくという姿勢。


――書き手として、出版社・編集者の役割はどのようなものだと思いますか?


小暮真久氏: 数冊出していて、それぞれに編集者が全然違うのですが、僕にとっては、自分が思っていることや考えを世に出すということには、少し怖い部分もあるのです。そこを一緒に歩んでくれる。必ず一緒の目線で悩んで、考えてくれ、相談し合う。チームとして一緒にいいものを出していくのだと、そういう姿勢を持っている方が僕にとっては素晴らしい編集者です。最初の本の杉崎さんはそういう方でした。「こんなことを書いても絶対に分かんない」というように、ダメな物はダメだと言いますが、処女作でビジネス書で勝負するために、杉崎さんが会社に向けて「こういうメッセージがあるのでこうしたい」と言ってくれたのです。その過程も彼女が突っ走るのではなく、きちんと相談をしてくれたので、僕も、本という1個の作品を作っているんだなという感覚がありました。一球入魂でやったものは、伝わるのだと思っています。

英語で出版。世界に認知してもらいたい。


――今後の展望をお聞かせください。


小暮真久氏: 『「20円」で世界をつなぐ仕事』を韓国語、ハングル語で翻訳して出したのですが、あまり売れませんでした。でも、あの本を見て連絡をくれた韓国の方も何人かいたので、世界の色々な国であの本を出したいという気持ちがあります。ちょっとコンテンツが足りない部分もあるかと思いますし、時間も経っているので、それ以降に起きたこと、ラーニングのようなものを含めた増強版で、英語で出すとかなり読者対象が広いのではないかと思います。だから英語では出したい気持ちは強く、何社かアメリカの出版社にあたったりするなど、色々と自分たちも動いていますが、まだ実現していません。そういうものを通じて、このTABLE FOR TWOの活動を世界中に広めていって「食の活動と言えばTABLE FOR TWO」などと言われるぐらいに世界で認知してもらいたい。それだけの実力がある仕組みだと思っているので、あとは本の助けを借りたりして、僕たちもさらに努力していけたらいいなと思います。そうすれば、日本の若い人に元気を与えることができるのではないでしょうか。日本発で世界に出て行った社会活動、そういうような存在になりたいと思っています。

――本の読者も英語にするだけで、かなり増えますね。


小暮真久氏: 今回英語のウェブサイトを英語圏の人のオーディエンスが見やすいように、少し作り直しました。まだ第一段階ですが、今後もコンテンツを付け足していきたいなと思っています。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 小暮真久

この著者のタグ: 『英語』 『旅』 『海外』 『食』 『子ども』 『運動』 『NPO』 『育児』

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