絶版になっている書籍の中には名著が多い。
今の出版界の問題解決をICTで!
情報学の博士であり、オラクルひと・しくみ研究所代表、ワクワク系(感性価値)マーケティング実践会を主宰されている小阪裕司さんは、ビジネスの現場で研究と実践をされながら、ビジネス書の著者としても大変著名です。そんな小阪さんに、本と電子書籍、ビジネスのかかわりあいについて伺いました。
良質な映画のように、エンターテインメント性があり長く読まれる本を書きたい
――早速ですが、小阪さんはセミナー、執筆、実践会とマルチに活動されていると思うのですが、昨年書きおろしの新刊が出ましたね。
小阪裕司氏: そうですね。書きおろしの単行本としては5年ぶり位です。新書と日経MJでの連載あたりをまとめた単行本化はしているのですが、書きおろしとしては5年ぶりですね
――執筆スタイルについてお伺いしたいのですが、書く時にどんなことを大切にされていますか?
小阪裕司氏: 役に立つのと同時に、読むこと自体が面白い本になるように心がけています。小説ではないので、面白おかしく書こうとするわけではないのですけども、その読み進むリズム感とか、時々笑えるようにとか。時間をかけて読んだだけの価値はあったと思われることが、必須条件だと思います。私は、良質な映画のような本をめざしています。
――映画ですか。
小阪裕司氏: ええ。私、もともと映画監督になりたかった人なのです。良質な映画ってすごく学びや気づきがあったり、生きる力をもらったりする。その一方でちゃんとエンターテインメントとして面白い。例えば、今回の本は、私のもうひとつの活動である研究の部分も入っています。よりアカデミックな部分がある。それでも、読み進むのがつらい本ではない。アカデミックなことが書かれていたり、少し考えさせられるようなことがあったとしても、面白く読み進め、読後感が良いものをめざす。それから2点目は、長く読まれる本を書くということですね。これは、一冊目からのポリシーです。ばっと売れてばっと消えていくというよりは、長く読まれる本を書きたい。私が大きな気づきがあった本のひとつに、『風姿花伝』という世阿弥の書いた本がありますけども、これは600年以上読みつがれてきたんです。そして21世紀初頭の私に気づきを与えるわけですから、すごいですよね。長く読みつがれる本には、普遍的なことが書かれている。そこは重要なポイントだと思うんですよね。その普遍性と、現在にその普遍性をどう応用していくとかっていうところに、また現代にあるべき本の姿があると思います。
――何年も残るものをめざされてるんですね。
小阪裕司氏: 600年位読みつがれたいですよね。私の場合は実践と研究が常に頭にあって、新しく知識や情報が更新されていくので、お伝えしたいことが増えていくんですね。そうすると、できるだけそれを盛り込んで、原稿にしてみます。でも盛り込みすぎる不親切っていうのがあって、読み手が腹に落ちるというところを意識して、一度書いたものを削ったりもしています。
「実践知」とは、ある日突然自転車に乗れるようになるような「知の体験」
――11月に出された本はどういった内容ですか?
小阪裕司氏: 11月に出た本では、例えば「実践知」について語っている箇所があります。実践知というのは、説明すると抽象的になるんですけども、例えば「自転車に乗れるようになること」みたいなことなんです。
――「自転車に乗れるようになること」というのはどういったことでしょうか?
小阪裕司氏: 実践知というのは、自分で実践をしたり、実際に実践ができている人たちのそばにいたりすることで身についていくタイプの知恵です。その実践知の身につき方は、ちょっと独特なんですね。突然上達するんです。これを抽象的に説明すれば、頭ではなんとなく分かっても、腹に落ちない。ところが、「それは自転車に乗れるってこととよく似ていて、自転車というのは、自転車に乗れるようになるための本を何十冊も読んでも乗れるようにならない。でも、ある日突然補助輪が外れるようになるでしょう?」と、こういうたとえ話をすると、みなさん腹に落ちるんですよ。その「ある日突然感」というのも分かりますし、多くの方が自転車には乗れますのでイメージしやすい。私が提唱していることが難しく感じても、「突然できるようになる日がやってくるのか」と思うとがんばれる。実際、私が提唱しているような実践知に関しては、もう身につけた人たちがたくさんいるんですけれども、やはり彼らもある日「突然腹に落ちた」と言います。「ある日突然見える世界が変わった」とかね。本に書く時は、このように実践知の特色をお伝えしつつ、「自分もやってみようか」と思ってもらえるような伝え方をしないといけない。そういう時に今の自転車の話などを書きます。そういう工夫は大事だと思います。
編集者からの「するどい質問」が、執筆には欠かせない
――こちらの本は博士号を取得されてから、初めての本になられるんですか?
小阪裕司氏: そうですね。
――何か書き手として変化みたいなものは生じましたか?
小阪裕司氏: 自分では全然分からなかったんですけど、担当編集者にも「すごく変わった」と言われました。博士号を取ってから、震災のことなんかもあってセミナーをしばらくお休みしていたんですが、セミナーを再開した時も、多くの方に「セミナーのやり方や構成が変わった」って言われます。文章については、角川の担当者の方に「まるっきり変わりましたね」って言われました。
――まるっきりですか?
小阪裕司氏: 小見出しの立て方まで変わったと言われました。自分でも最初のころの著作を読み、中間地点位の著作を読み、現在の本を読みと、冷静に読み返してみると「変わってきたな」っていうのは感じます。
――出版社の方とは、普段どういったやり取りをされていますか?
小阪裕司氏: とにかく頻繁に会って、ディスカッションをするんです。何を書くか、どう書くか、表現ひとつ、言葉ひとつ意見を交換します。というのは、もちろん出版社の方の意見をいただくっていうこともあるんですが、私自身が対話をしていると頭がさえるんです。コミュニケーションを取っていくと、内容がさらにまた深まりますね。
――小阪さんにとって理想の編集者は、対話ができる方なんですね。
小阪裕司氏: そう、質問のするどい人。編集の方に、「こう書いたら良いですよ」とか、「こういう風にしましょうよ」っていう意見はあんまり求めているわけではないんです。質の高い質問をしてくれると、脳がとても活性化するんですよ。
編集者とは二人三脚で「社会の仕組みを変える」仕事を担う
――編集者の方と内容を深め合いながら、二人三脚で本を書かれていらっしゃるんですね。
小阪裕司氏: 私は、私が提唱してることを実践することで、少しでも社会が変わる、新しい社会システムができていくっていうことを考えています。ですから編集の方は、その私のビジョンや、提唱することに共感してくれている方です。自分ひとりでは本は出版できないので、私は編集の方と二人三脚だと思っています。出版する方が、共感をしてくれて本を出してくれるからこそ、人目に触れていきます。だから、もともと私の提唱していることそのものにあんまり関心がないと、そういう二人三脚にならないんです。
――具体的にはどのように一緒にお仕事されていらっしゃるんですか?
小阪裕司氏: 例えば私が親しくさせていただいてる雑誌社や新聞社の編集の場合、お互いの役割分担みたいなものがあります。彼らは雑誌を編集したり、新聞を作ったりして、私はいわゆる世の中の事象を概念化したり、あるいは将来を予測したりっていうことをやっている。私1人が考えても発信できないと広まらないので、編集の方たちは広めるっていう役割をしてくださり、私は研究したり開発したり発信するってことを担う。こういう関係で物事が進められると、とても有意義な活動になりますね。
執筆場所には、独自のこだわりがある
――執筆のスタイルについてもお伺いします。普段どちらで執筆されていますか?
小阪裕司氏: 今の家に移り住んで落ち着ける環境になったので、今回の本は結構自宅で書きました。環境が大事なんです、私の場合。ですから、雰囲気とかの良い環境が必要ですね。でも、良い環境って落ち着けるとか、そういう端的なことでもない。昔、旅館にこもって執筆するのにあこがれていて、一度やってみたんですけど、筆が進まない(笑)。で、色々試してみたんですが、グリーン車で書くことが自分には向いていました。新横浜から福岡に行くっていうと、普通飛行機で飛ぶんですけど、新幹線ですと車中で時間がずっと使えるじゃないですか。どういうわけか、グリーン車の中だと仕事がはかどるんですね。あとはね、ちょっと気晴らしに場所を変える時は、横浜近辺のカフェとかに行くんですよ。そうするとわさわさっと人がいるんですけど、はかどるんですよ。私は人がたくさんいるカフェって好きなんです。ただ、どこでもカフェに行けばはかどるかっていうと、そんなことは全然ないので、好きな雰囲気のカフェがありますね。
大学では「美学」を専攻を研究していた
――小阪さんが、世の中に分かりやすく物事を伝えよう、色々発信していこうと思われたきっかけを、学生のころからひもときたいと思います。学生のころにはどのようなことをしてらしたんですか?
小阪裕司氏: 美学をやっていまして。美しい学問と書きます。「美しいものは何」とか、「美しいとは何ぞや」ということをやるんです。つぶしのきかない学問で、ほぼ就職先がない(笑)。多くの大学が文学部哲学科の中にある学科で、哲学の一種と言えます。私は、そういうことに興味があったんです。さっき申し上げましたが、私、映画監督になりたかったんですね。映画を作るってことは、子どものころから志していました。本当に幼いころから、ものすごく映画が好きなんです。昔はゴジラとかの怪獣映画ですけどね。で、中学のころは洋画にはまって。当時は3本いくらとかで上演している名画座っていうような映画館に入り浸ってました。それで、自分でも高校、大学と映画を撮り初めました。
――ビジネスへの興味はありましたか?
小阪裕司氏: 実は、ビジネスには何の興味もなかったんです。もう経済とか何の関心もなかったですね。それで大学で美学を専攻しまして、卒業してもそういうことをやろうとしか思ってなかったですね。
広告代理店に就職したはずが、なぜか婦人服売り場へ配属
――最初に就職したのは広告代理店でしたね。
小阪裕司氏: 博物館学員の資格を取って、美術館勤めの流れがあったんですけども、美術館で実際に実習して、ちょっと違うなって思ったんですね。それでイベントをやろうと思って広告代理店を受けて、内定をもらったはずだったんですけど、それが大手流通グループで配属されてみたら洋服の売り場だったんですよ。これはもう驚天動地というかね。だってビジネスに関心がない人間で、小売店でバイトをしたこともないのに、いきなりね、「婦人服を売れ」ですよ。いきなり売り場のチーフを任されて、他の方はみんなパートさんです。で、毎日奥さま方がいらっしゃって、スカートとか、ブラウスとかお洋服を買っていただき、「お似合いですよ」とか言うようになる。
――どんなお気持ちだったんですか?
小阪裕司氏: 一日も早く辞めてやろうと思いました(笑)。本当に関心がなかったですし、つまらないし。ところが、ある日開き直って、「これを楽しんでやるか」と思って、創意工夫してみた。やってみたら、なかなか面白いんですよ。もともと美学に行ったのも、美術品とか美術史に興味があったわけじゃなくて、私の関心は「どうして人は美しいと感じるんだろう」というところなんですね。例えば同じものを見ても、「美しい」と感じる人もいれば、「なんじゃこれ」って思う人もいる。その違いってどこから出てくるんだろうかということを美学では研究していた。その観点をね、ちょっと持ってみたんですよ、売り場で。同じ商品なのに置き方を変えると、魅力って変わるんだろうかとかね。来てくれるお客さんと来てくれないお客さんがいるのはなぜなんだとか。そういう風に考え始めたら、仕事が面白いものになってきて、ほとんど本部の言うことを聞かないで自分で勝手に売り場で色んな実験を始めたんです。そうするとね、面白い具合にお客さんの行動が変わって、売り上げがぐーっと上がって来るんですよ。それで、その面白さに取り付かれました。
切り口は「婦人服」でも、「人の心と行動」を研究することで売り上げが上がった
――視点を変えたら、イヤだったものが面白いものに変わったんですね。
小阪裕司氏: 結局は私の関心事は首尾一貫していて、「人の心と行動」なんですね。「人の心と行動」という側面から売り場を見て色々実験をして、売り上げが上がり始めると面白かったですね。全く同じ商品で全店で全然売れてないのに、私の店だけ売れるんですよ。表現の仕方とか、ちょっとしたことで違ってくるんですね。
――美学で学んだことをビジネスの場で実践されたんですね。
小阪裕司氏: あとはね、売り上げが上がって来ると皆に褒められます。すると、好きなようにやらせてもらえる。そうしてこのまま婦人服も良いかもなんて思っていたら、もともと希望していた広告代理店の方に来ないかって言われまして、移動したんですね。それからしばらくイベントの仕事、博覧会とか舞台とかをやりました。そうこうしてるうちに、経済とか経営からの流れではないマーケティング観点で活動なさっている方との出会いもあって、独立して、「感性と行動」というものを軸にビジネスをとらえていくことをやっていこうと思いました。
――独立されたのは何歳の時だったんですか?
小阪裕司氏: 私は29歳で会社を作りました。そのころにはこういうことを人に伝えたい、店とか商品に具体的に形にしたいっていう思いがすごくありました。
今、ますます思考法が大事な時代になっている
――視点、考え方ひとつで人生が大きく変わっていったんですね。
小阪裕司氏: 大切なのは思考なんです。どんどんと思考法が大事な時代になってきています。複雑性の社会システムの上では、同じ事象は二度と起こらないんです。その現象を引き起こすために必要な要素がちょっとでも変わると、違う現象が起きてしまう。そんな現代社会で思考法がなぜ大事かと言うと、例えばほかの人がやってうまくいったことの中には、普遍的な、同じような現象を引き起こせる要素はいくつもあるんだけど、その要素を見い出して、自分なりに思考できて、しかも自分も自分の現場に落とせないといけないんです。これが従来の社会とすごく違う点だと思うんですね。われわれが工業社会と呼んでいる従来の社会では、あまり複雑性の社会にありがちな現象が起きないので、ほかの人がやったことを単にまねできる。あるいは例えば、「この5つさえやっておけばうまくいく」とか。そういう風にして実際にうまくいっていました。ですから、例えば大規模チェーンなんてものも生まれたんです。そこでは「だまってこれをやれ」っていうタイプの仕事で、そういう指示が降ってくる。あとは、まじめにその指示をちゃんとやるのが仕事です。でも今はそうじゃなくて、自分で考えて、自分の現場で最適な解、快適な解を作るっていうことが大事なんです。
大企業でも八百屋でも、必要なフレームやメソッドは同じ
――そのフレームワークやメソッドを広めていらっしゃるんですか?
小阪裕司氏: そうなんです。例えば私は、大企業に対しても、八百屋さんに対しても同じフレームやメソッドを提供しています。そうすると大企業の方は、何となく「大企業では難しいのじゃないか」って思ったり、八百屋さんは八百屋さんで、「小さな八百屋さんでは難しいんじゃないか」と思うわけです。実際に、大企業と小さな会社の違いは経営的には大きいでしょうけれど、お客さんの心をつかんで動かすとか、心をつかみ続けてファンでい続けてもらうっていうことで考えると、規模は関係ないわけです。規模の大きな会社っていうのは、ファンが5千万人いて、規模の小さな会社はファンが5百人だというだけの違いです。しかも、規模が大きかろうが小さかろうが買うのは1人のお客さんなんです。例えば、一日に5千足靴下が売れる会社だって、5千本の足を持っているお客さんが買うわけじゃなくて。1人のお客さんの延べ5千回です。ですから、人の感性と行動に着目して、そこからビジネスを組み上げるってことは本当に誰でも使える方法論なんです。でも、ビジネスの本質に対する誤解がまだまだある気がしますね。
実践会では、街のおやじさんやおかみさんたちが利益を上げている
小阪裕司氏: 私は実践会という、私が提唱するフレームワークやメソッドを活用する企業と個人の会をやっていますが、彼らでも入会したてで、すぐに大きな成果を出せる人はほとんどいません。まずは他の企業がやったことを見よう見まねでやってみたり、半信半疑でやってみたり。それから、既にその実践知を身につけている人たちが近くにいると、それだけでどんどん上達するんです。それは、慶応大学の井庭先生の言葉を借りると、「場につかる」って言います。
――場につかる、ですか。
小阪裕司氏: つかるんです。つかるだけで上達するっていうのは、実践知の特色なんです。会員さんが、実践会に来て先輩たちと語り合っているだけで、成果が上がってくる。それはどうしてかっていうと、そういう場の何でもない会話の中にすでに学びが埋め込まれているからなんです。そこでどんどんものの見方、思考法が変わってくるんですよ。そうすると当然思いつくことも自分がやったことに対する検証も、全部レベルが変わってきて、成果が上がられるようになりますね。
成果を上がるには学歴は関係ない
――どういった方が成果を上がられましたか?
小阪裕司氏: クリーニング店のおやじさんとか、薬局のおかみさんなど、どこにでもいる業種の方々がすごい成果を上げています。
――柔らかい考えを持った方の方が先入観なく、小阪さんのお考えだとか話をちゃんとそのまま吸収できるんでしょうか?
小阪裕司氏: 柔軟さが持てるかどうかが大事です。今は世の中が最も大きく変わろうとしているまさにその過渡期なので、物事を見るフレームそのものを変えていかないといけない。そこには柔軟さが絶対的に要求されます。柔軟であるかどうかは、年齢とか学歴とか関係ないですし。
――いかに今まで気づかなかったところが多かったかっていうところに問題があるんでしょうか?
小阪裕司氏: そうだと思いますね。だから、自分たちが持っているものや、やっていることや提供できる商品やサービスが、顧客に取ってどんな価値があるのか。それをどううまく伝えるかっていうことに解決の道があるんですよ。それはこの本の大きなメッセージです。世の中が変わるからといって、その新しい世に合う新しいものを作らなきゃいけないかというと意外とそうではない。実際に私は会員さんたちを見ていて、古い業者の人たちや古くからある商品が軒並み業績を伸ばしてます。例えば呉服店でも、最近ぶっちぎりで伸びている会社が何社もあります。
新しい消費欲求は「毎日を心豊かに過ごすこと」
小阪裕司氏: 幸いなことに、日本は新しい消費社会に30年位間前から移行しつつあります。新しい消費欲求っていうのが、どんどん大きくなってきている。その欲求は、簡単に言うと、心を豊かに、毎日を精神的に充足して過ごすということ。大げさなことなくて良いんです。毎日ささやかに良い人生だなあと思って過ごしたいという欲求です。これは、今強力に広がっています。この新しい欲求が広がってくると、ビジネスチャンスがある。しかも、ここに意外と旧来の商品やサービスが合致するんですよ。
――例えばどういったサービスがありますか?
小阪裕司氏: 例えば、糀(こうじ)の甘酒なんていう極めて古いものを製造し販売する会社が、ものすごく今伸びています。この会社の一号店は新潟のシャッター通りと呼ばれるところに作ったんですが、行列のできる店になりました。今は東京にも出店していますが、人気店です。最近では大手の製薬メーカーさんと商品を共同開発しましたが、これも大人気です。やはり、心の豊かさがこの社会の特徴だと思うんですよ。そこに、旧来の技術がマッチして、心の消費の中でちゃんと生きていく、また、生かされていき、新しい輝きを放つ。もちろん、新しい業種だって伸びますしね。
――色んな意味で、ビジネスが過渡期に来ているんですね。
小阪裕司氏: そうですね。あまりにも新しいので、フレームが扱いにくい。しかもその上に、ICTの発達っていう激烈な変化がダブルで訪れていて、こんな時代はそう過去にはないでしょう。例えば産業革命なんかは当時の人にとっては、センセーショナルなことだったでしょう。当時の風物なんかを記した文献なんかを読むと、もう本当に世界がひっくり返るような出来事だったみたいだから。
――それは、その時代に生きていた人たちも実感しているものだったんですか?
小阪裕司氏: そうですね。当時のフランス、パリの様相とか文献が残っていますが、熱狂的ですよ。だってそれ以前は工業製品ってものがなかった時代で、工業製品を店で買うなんてなかったことだから。それが、世界で初めてパリで始まった。その当時のパリ市民は熱狂ですよね。その産業革命以降、新しい消費がどんどん現れた時代と今とはよく似ています。そして今は何がそのベースにあるかっていうと、心の豊かさとICTだと思う。これが、ドッキングして来ているからすごいことになっているんです。
今までに印象深い一冊は『社交する人間』
――今回は本のインタビューなので、本についてもお伺いしたいと思います。小阪さんにとって、印象深い一冊を教えていただけますか?
小阪裕司氏: 印象深い本と言われて思いつく本は、数冊常にあります。山崎正和先生の『社交する人間』(中央公論新社)っていうのは、特にビジネスやっている人にとっては、ビジネスのことだけを書いている本ではありませんが、重要な知見があります。山崎さんはもともと劇作家でいらっしゃるし、文化文明史の研究者でもあります。経済・経営の角度ではなく、人間社会ってものが、どうずっと営んできて今やどうなろうとしているかということを山崎先生なりの、フレームワークと、博識なところからひもといておられる。しかも劇作家でいらっしゃるので、とても美文、美しい文章でね。すばらしい一冊です。私はビジネスの研究者ではなくて、人間の研究者ですから人間について書かれた優れた書物は、好きですし、そういう本に多大なヒントがあります。でもこういう書物は意外と手に入らなかったりするんです。
――今でもふらっと書店に立ち寄られたりすることってありますか?
小阪裕司氏: あんまり時間がなくてね。でも、ものすごく書店は好きですね。特に至福の瞬間は古本屋巡りですね。最高ですよ、やっぱり。すごい出会いがありますもんね。本って知の宝庫ですから。本を読まない人は、本当に人生を損していると私はつくづく思う。自分が本を書いていて、一冊の本にこんなに色んな情報を詰めているってことは実感があるので、優れた書物ってそれ以上に知恵を詰めてくれているはずなんです。こんな値段で、こんなに知恵をもらっちゃって良いのかって感じですよ、本当に、優れた書物はね。読みながら、メモを取ったり、最近の自分と置き換えてみたりできる。めちゃくちゃお徳です。
電子書籍は利用していないが、時代の流れには逆らえない
――小阪さんは電子書籍は利用されてますか?
小阪裕司氏: 今のところ使わないですね。文献をたくさん持っていかざるを得ない時って、電子だったら良かったみたいなことを思います。今学会なんかも進んできていますので、ネットで検索して、論文とかダウンロードできるようになってきています。紙しかなかったころは、もう大変でした。国会図書館に行って、検索したりしなきゃいけないとか。電子書籍にはそういう利便性の側面はまず当然あるなとは思っていますが、あえて使わないってわけでもないんですが、まだ使ってみたことがない。物理的な本として読むこと自体が好きですね。
――本の良さはどんなところにありますか?
小阪裕司氏: 多分、知に触れている感が本の方があるんですよ。ただ、せっかく電子化というインフラがあって、その恩恵を受けない手はないんじゃないかっていうのもある。社会がそういう風に変わって来ているわけだし。それは個々の取捨選択でしょうけども。ただ、紙の時代が終わって電子になるっていうのは、ちょっと私は意見が違います。確かに文は同じように書かれていて、頭の中には同じ意味は入って来るけども、本を読むという行為、知に触れるという行為が、私は電子となると違うんじゃないかと思うんです。そこを皆が分かった上で、電子を大きく育てていけば、電子出版が伸びると同時に紙も伸びるんじゃないかな。ほぼ電子しか触れたことのないような人は、大体若い子だろうけども、そういう人たちには、本というものから触れる面白さを教えてあげないといけないと思います。
――では、用途に応じて使い分けていければいいんですね。
小阪裕司氏: やっぱり大量に持ち歩いてスピーディーに読みたい時、例えばずっと出張続きで移動中にどうしても文献をたくさん読んで情報を入れなきゃいけないとかという時は、電子化されていたら最高ですね。いわゆる論文じゃなくて書籍化された文献は、電子書籍に出してほしいですよね。そうするとやっぱり20冊、30冊ぽんと持って出られて、検索もできて、良いと思うんですよね。既存の本の電子化については色々な意見がありますね。出版社にとっては、やってほしくないなということもあると思うんです。でも、ICTがどんどん発達してきて、新しくできることが増えていった時に、社会そのものがどう変わっていくかっていう流れには、あらがえないところはあると思うんですよ。ただ、その中で著作権をどう考えていくかとか、色んな問題をまた皆で議論していかないといけないでしょう。新しい社会の訪れに抵抗することはできないので、そのなかでね。
電子書籍を利用して、絶版したものを復活させたい
小阪裕司氏: その中で、この既存書籍の電子化っていう問題はどういう風に皆で良い形に持っていけば良いんだろうかっていうのは、すごく思いますよね。最初から、電子書籍も出せば良いということですけども、実際に、最初から電子書籍が出るのかっていうと、これがまたなかなか出ないんですよね。今文献なんかの問題も、学会ではすごく議論の的にはなるんですけど、今ひとつ進まなかったりとか。過渡期ですからね。微妙な状況があるのかなと思います。でも、時代が変わるということは、誰も止めようがない。だから、かえって、議論しないことの方が危険だと思う。それから、電子化に対する際の、私の希望の1つは、絶版したものを復活させてほしい。名著の宝庫ですよ。私が本当にインパクトを受けた何冊もの本がね、全部絶版です。つまり、多くの方は現在その「知」に触れられない。大問題ですよね。
――大問題ですよね。
小阪裕司氏: でも、従来の社会のシステムの中では、それが精いっぱいだったわけですね。この問題っていうのは新たなICTの技術によって解決し得るのではないかと思います。そのなかで、みなさん知を生み出して流通することにかかわる。全ての人に恩恵がある形で。もちろんその恩恵に対しては、一番読者が対価を支払わなければならない。私自身も実質絶版書があって、それは入手困難なんですよ。幸いなことに最近の本もよく売れているんですが、新しい読者が増えると、その人たちも「これが読みたいな」って思うみたいですけれど、読めないんですよ。でも出版社の事情も分かるんですね。実際に、長い間マーケットであまり動いてないものを、またどばっと増刷して、それでどうするというそういう事情も分かるけれど、じゃあまた同じような文章を書いて別の出版社から出すってわけにはいかない。そうすると、そこの本の中に込めた知は、それ以上どこにも広がらないということになってしまう。それは、著者的にも何とかならないかなって思うところです。それに、私自身がそうやって絶版になった本から多大な恩恵を受けてきて、それは、たまたま古本屋巡りをしたので出会えたけど、何かそうじゃない社会システムはないんだろうかと思いますよね。
今後も読者に伝えたいことがたくさんありすぎる
――昨年、10月11月と連続して書籍を出版されましたね。
小阪裕司氏: 2冊セットで読んでほしいですね。流れとしては、おおよそ1冊分だと思うんです。それを、ちゃんと作りこむと当然500ページ位になってしまう。そうするとやっぱり手が出しづらいっていうところもあるでしょうから。10月の方は、その思考法っていう軸で、社会の変化に伴うビジネスの変化の方に重きをおいたんです。11月に出た本はどちらかというと、ちょっと抽象的な話ですので新書向きかなということで、こちらを角川さんにお願いして新書にしていただきました。新大阪から東京に行く間に読むみたいな、そういうタッチで書き進めました。そうすると、じゃあこれどうやって実践したら良いんだろうかっていう時に10月の思考法の本をじっくりと読んでいただける。もっとこの変化の先ってものを見たいと思えば11月に出た本を読めばいいわけです。
――2冊がリンクしてるんですね。
小阪裕司氏: そうですね。ですから、両方読んでもらいたい。どっちが先でも良いんですけど。
――それでは最後に、今後の展望をお伺いできればと思います。
小阪裕司氏: 本に関しては、お伝えしたいことって全然まだ書ききれてなくて。さっきの話のように、ぼんぼんと膨らんでいってしまうんで、もう書いている最中も、「これ、もうまるごと次の本にしよう」とかいうアイデアがわいてきて。本当は全部書きたいんですが、それを書き始めたらもう触りだけで2章分になっちゃうとか。今はとにかくお伝えしようとしてるものをまとめていかないといけないなというところですね。幸いなことに書いてくれと言ってくださる出版社の方も、少なからずいらっしゃるので。それとはまた別の系統の研究でアウトプットしてないものもあるので、それも書かなければならないしと、後が詰まっている状況ですね。日々研究と実践活動をやっていると、きりがないと言えばきりがないですが。書きたい本はあるんですが、それは後回しになってます。やっぱり書かなければならないものを先に書く。
――書きたい本と書かなければならない本と分けて考えていらっしゃるんですね。
小阪裕司氏: そう。それが私の出版に関する師匠の教えです。「著者たるものは書かなければならないものを、読者が読みたい様に書く。これが良い本だと」いうことなんです。書きたいものを書きたい様に書く本なんかだめだということを教わった。書きたい本と書かなければならない本って、実は違ったりするんですよ。あとは、自分がやりたいことっていうのは、実践者を増やしていって、新しい社会システムを構築しなければならないと思っています。既に私たちは、この知識体系を身内用語で「ワクワク系」と呼んでいますが、「ワクワク系」は、先に商業の世界で広がったんです。いわゆる小売りサービス業、卸し業ですね。それが良い形で連鎖して今製造業の方に徐々に広がってきています。それで、ここのところ日刊工業新聞さんとかものづくり系の皆さんとのジョイントなんかがあったりするなかで、価値を創造できる売り手と、価値の高いものを作れる作り手がきちんとね、価値創造の土俵で組み合わされば、さっき申し上げたことが起きるわけです。これを具体的に社会の新しいシステムとして作っていく。で、そこにどんどん仲間を呼び込んでいくという。それが本当にリアルの心豊かな世の中なんだということを仲間と一緒に広めていきたいです。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 小阪裕司 』